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アクティヴ・ラーニングは一歩間違えば・・・

 NHKニュースで紹介されていた「アクティブ・ラーニング」とは何か。

 これまで,学習指導要領では「学習方法」について踏み込んでいないと報道されていましたが,決してそのようなことはありません。このブログのサイドバーにある内容をご覧いただけると,NHKニュースの誤りがよくわかります。

 さて,中央教育審議会が平成24年8月28日の第82回総会において取りまとめた答申が,

 「新たな未来を築くための大学教育の質的転換に向けて~生涯学び続け,主体的に考える力を育成する大学へ~」

 ・・・・すでに小中学校では「ゆとりの中で生きる力を育む」教育として実施されてきているような内容です。

 この答申の「用語集」に掲載されている「アクティブ・ラーニング」の定義は次の通り。

>教員による一方向的な講義形式の教育とは異なり,学修者の能動的な学修への参加を取り入れた教授・学習法の総称。学修者が能動的に学修することによって,認知的,倫理的,社会的能力,教養,知識,経験を含めた汎用的能力の育成を図る。発見学習,問題解決学習,体験学習,調査学習等が含まれるが,教室内でのグループ・ディスカッション,ディベート,グループ・ワーク等も有効なアクティブ・ラーニングの方法である。

 
 ニュースでは,埼玉県の私立高校の授業の様子が紹介されていました。

 単に教科書に掲げられている「問い」の「答え」を導くだけの「学び合い」ではなく,広範な知識や技能を活用した「考える活動」「課題を発見して,その解決をめざそうとする活動」のことを指すわけですが,塾や予備校では採用されていない学習方法です。

 つまり「ゆとり教育」の代表的な授業風景が,再び求められていくという様相なのですが,習得すべき知識も多い,そして思考力や判断力,表現力の育成までもが求められるとしたら,本当に時間がいくらあっても足りません。

 結局,学校では試験に対応できる「学力」が身につかず,塾や予備校の存在感がますます高まるという,これまで何度も繰り返されてきた「問題」に気づかされるだけ,となる可能性もあります。

 アクティブ・ラーニングが

 「アクティブ」に実施されるための条件,

 「ラーニング」になるための条件を,

 しっかりと練っておいてほしいと思います。

 私立高校は私立高校なりの方針で教育がなされていてかまわないわけですが,

 男子は男子,女子は女子で4人グループをつくる,という方法は,公立学校では「やってはいけない」学習方法になります。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より