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CAと教育委員会の指導主事の共通点

 総合学習で,元CA(客室乗務員)の方への職業インタビューを行う

 機会があり,興味深いお話をたくさんうかがうことができました。

 ネットでもCAの世界の裏話を公開するブログなどもありますから,

 もしCAになりたいと思っている方は,その「現実」を知ってさらに

 熟考されることをおすすめします。

 お話の中で私がなるほどと思ったのは,

 「CAはマニュアル通りに話さなければならない」ということで,

 記憶しておかなければならない「返答のパターン」が紙の厚さで

 10㎝くらいあるとのこと。これは,議会や記者会見などで

 指導主事が用意しておく「想定問答集」と同じような量になります。

 (もちろん一言一句暗記できないので,その場に持参します

 ・・・・が,質問ゼロ,という場合もよくあることです)

 裏話ブログの方では,CAは「英語が話せる」という印象をもって

 いる人が多いようだが,その「英語」もマニュアル通りで,

 かつ,やりとりのパターンは決まっているので,

 CA自身も「英語を話すのは苦手」とこぼしているのが印象的でした。

 インタビューでは,「同じようなニュアンスの言葉」でもダメだ,

 「一言一句,同じでないと」ということでした。

 私が指導主事になったとき,

 「指導主事が話したことは教育委員会の見解そのままになる」

 という忠告をまずいただいたのですが,

 「それなら何も話さない方がよいだろう」・・・・と考えるレベルの

 人なら,昔なら指導主事になど任用されないわけでしょう・・・。

 「責任感」という単純な言葉では表しきれないプレッシャーを

 感じていました。私のように,文部科学省の方針自体に

 大きな課題を感じている身としては特に・・・・。

 「個」ではなく「組織」そのものの一部として行動しなければ

 ならない職業はたくさんあるのでしょうが,

 「組織」より「個」のよさに浸りたい人は,私のように「天職」

 に「転職」する方がよいのでしょう。

 インタビューした方は,元CAと書いたように,今では他の

 職で活躍されています。CAと同じように「立ったままでいる」

 ことが多いのと,「どんな苦情でも笑顔で対応しなければならない」

 仕事に就かれているのは何かの因縁でしょうか。

 ただ,「個」が最重視されるという点では,CAとは全く異なる。

 もちろん職業ですから「組織」のチームワークも重要ですが,

 あくまでも「個」が人々の支持を集めて国をよい方向に

 もっていけるように努力されているという点で・・・そして,

 「個」の支持も「組織」の支持と同じように大切にしている

 という点で,やりがいのある仕事だろうと私も感じることができました。

 子どもたちの質問に対して適格なお話を,豊富なエピソードを

 添えながら語っていただき,何時間でも対話を続けていたい

 授業となりました。

 生徒の心に「強い信念で働く,しなやかで美しい人」のイメージが

 しっかりとできあがったことが私自身の何よりの喜びです。

 講師の先生に,改めてお礼を申し上げます。

 ありがとうございました!

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より