小学校で子どもにやらせてはならない「わかったか」「わかっていないか」の自己評価
日本の教育では,「疑問をもたせない」ことに重点がおかれてきた。
たとえば,授業内容を「理解できたか」「できなかったか」をその都度
確かめようとする教師がいる。
中学校ならば,「理解できたか」「できていないか」がわかる問題を
解かせる(そのときは解けても数日後に解けなくなっているのでは
意味がないから,中学校や高校では「定期考査」という場で判断
する)ことで学習状況を把握するが,小学校では「グー」が理解できた,
「チョキ」が少し理解できた,「パー」がパーです,というように
子どもに自己評価させて把握できたことにする教師がいる。
評価方法としては,愚の骨頂と言える。
「理解できない」と訴える子どもに個別指導を行うための時間を
確保して,他の子どもには応用問題を解かせてお互いに
解き方を発表させ合うなどの指導の工夫こそが大事なのであって,
アンケートのバリエーションを考えることに意味はない。
料理がおいしかったか,そうでなかったかというレストランの評価や
部屋が過ごしやすかったか,接客態度がどうだったかというホテルの
評価と,教科の学習状況に関する評価を同じレベルで考えてしまう
恐ろしさがまかり通っているところがある。
子どもの評価能力に対して全信頼をゆだねる信仰は小学校ならでは
の文化かもしれないが,だからこそあの薄い教科書でもろくに
内容を習得できない現状があることを,多くの親は気づいている。
子どもも親も,自ら認めたくないことが,「学ぶべきことが学べていない」
自分や自分の子どもの現状である。
たった2分でよい。「この授業でわかったことは何か」・・・・これを
書かせて分析すれば,どの子どもがどれだけ習得できているかが
わかる。自己評価能力の程度もわかる。
さらに,「応用問題」を解かせるクセをつければ,「学力定着」も
可能になるし,「学力向上」も可能になる。
ちまたで使われている一般的な用語としての「学力向上」の意味は,
「平均点の向上」であり,「基礎的な学力の定着」に過ぎない。
本来は全員が100点を取れなければおかしいようなレベルの
問題でも,それに達しない子どもが大勢いる。
つまり,基礎学力が定着していない状況が,定着するようになる
状況をめざすことが「学力向上」になってしまっているが,
本当の意味の「学力向上」は,さらにその上をいくものと考えたい。
特に受験問題の質と教科教育の質の乖離が著しい小学校での
本当の意味での「学力向上」は大きな課題である。
理解できたか,できなかったか,を判断するために「練習問題」があり,
その理解度の質が高いかどうか,思考力を駆使できるかを判断する
ために「応用問題」がある。日本の小学校には「応用問題」に
取り組ませる文化がないのが,中学校に入ってそれが求められる
ようになる「ギャップ」に戸惑う原因の一つでもある。
同じメンバーに様々な教科の指導を行えるのだから,
個に対する評価の方法をいくらでも工夫できるのが小学校
であるはずだが,「わかりましたか?」「はーい」の文化が
捨て切れないのであれば,小学校教育は4年間で終わりにして,
中学校教育を5年間にすべきという議論がもっと高まることを
期待したい。
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