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内田樹が「いじめ」の先に見ているもの

 AERAに掲載された6年半分の内田樹のコラムを

 まとめた本が出版されている。

 グローバリストへの痛烈な批判は,今読んでも

 新鮮である。ただ,世の中はほとんど変化していない。

 マスメディアの宿命に対するコメントも辛辣である。

>「広い射程」でとらえると,「新しい」と見える出来事の多くは「過去の亡霊」「借り物の言葉」「古い衣装」の再使用であることが知れるからである。

 マルクスの引用らしいが。

 さて,ここでは読書編で紹介した「いじめ」に関する内容を

 転載しておきたい。

 「いじめ」は学校だけで起こる特殊な問題行動

 ではないことは,多くの人が知っているはずである。

********************

 内田樹による「いじめ」の定義は広いものです。

 マスコミによる「学校たたき」も,「いじめ」の一種となります。

>「いじめ」は精神的に未熟な人に固有の現象である。

 (『内田樹の大市民講座』朝日新聞出版より)

 それはその通りかもしれませんが,精神的に未熟とは

言えない人の中にも,「それらしい立場」になってしまった

そのときに,「成熟」ではなく「未熟」に逆戻りしてしまう

傾向があることは多くの方がご存じでしょう。

>反論も反撃もすることのできない人間を,猫がネズミをいたぶるように,じりじり追い詰めることから嗜虐的な快感を引き出している人間の顔を私たちはよく見知っている。それは「級友をいじめている子供」の顔である。私自身は「管理責任はどうなっているんだ」と大学に怒鳴り込んできた「クレーマー親」たちの表情のうちに繰り返し同じものを見た。

 私の場合は,ごく一部ですが,教育委員会の事務局の

「偉い人たち」からこの臭いを嗅いだことがありました。

 「それらしい立場」の人たちには,「組織の存続のため」という

大きな使命があったからかもしれないのですが,その「組織」

のメンバーに自分が入っているか,そうでないかを考えれば,

 「いじめ」とは「仲間はずし」という明確な目的をもった行動

であると定義することもできそうです。

 共同体の内部でお互いに「仲間はずし」をし合っているような

人間が,最後にどのような立場になっていくのか。

 共同体はどうなっていくのか。

 「いじめ」はいじめられた個人の救済が最優先となってしまう

ので,その先に見るべきものが何かを忘れないようにしたいものです。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より