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自分を知ることが最も難しい

 自分の能力を知る技術を,「教師のコンピテンシー」として

 別のHPでまとめてあるが,なかなか現実の自分の能力を

 直視しようとする心のゆとりのある人は少ない。

 欧米圏では,自分の能力を知る「技術」として,それなりに

 体系化しようとする発想があるが,日本はあくまでも

 人間を「総体」として・・・「総合評価」としてとらえようとする

 傾向がある。だから私も「観点別学習状況の評価」は

 使い方を間違えると,学力低下の原因になる「問題の評価

 方法」として反対している。

 これを真の意味で使いこなす暇は,

 少なくとも中等教育の現場にはない。

 「自分を知る技術」に関する本はいくつかあるが,

 『ハーバードの自分を知る技術

  悩めるエリートたちの人生戦略マップ』

 (CCCメディアハウス)は参考になる。

 切り口が明確である。

 たとえば教師の中に,「自分の机を整理しない」という

 「主義」の人がいる。「整理しない」という「選択」をして

 いるわけだから,「整理できない」という「能力の低さ」は

 認めない。これに類する事例が,山ほどある。

 人間は,自分の能力を直視して,きちんと分析して,

 それをもとに行動することが難しい。

 しかし,それができる人が集まる組織はすばらしい

 成果を発揮する。

 優れた企業の現場では,会社が求めている能力と,

 社員が発揮しようとしている能力が一致している。

 問題山積の公立学校の現場では,国が求めている

 能力と,都道府県が求めている能力と,市町村が

 求めている能力と,文部科学省が求めている能力と,

 都道府県教育委員会が求めている能力と,

 市町村教育委員会が求めている能力と,

 保護者が求めている能力と,地域が求めている能力と,

 子どもが求めている能力が,教師が発揮しようと

 している能力と一致していないことと,

 そういう能力が持てていない現状にある。

 「多くを教師に求めすぎだ」という教師の意見と,

 「もっとできるはずだ」というその他の意見が

 対立している。

 「自分を知る」ことは,教師だけでなく,行政も,

 首長も,住民も,保護者も,子どもも,すべての

 人や組織に求められる重要な技能となる。

 だれか他の人だけに求める筋合いのものでは

 ない。

 それを教えられるのは,教育現場しかない。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より