ウェブページ

最近のトラックバック

本の検索・注文


  • サーチする:
    Amazon.co.jp のロゴ

« 小中学校にお薦めの「学力向上策」 | トップページ | ダビデとゴリアテ ~学力向上策を見直そう~ »

何も語られていないのと同じ教育論

 現場経験のない大学教師の教育論が,とても空疎で何の役にも立たないように

 聞こえてしまうのと同じように,現場教師が語る教育論も,世間の常識と

 かけはなれていて,全く言いたいことが伝わってこない,という批判を覚悟しなければ

 ならないのが教育の世界の話なのかもしれません。

 自分がどういう人間かを伝えたいことは伝わってきても,

 教育については実は何も語っていないことに

 自分自身が全く気づいていないと思われる人の文章によく接することが

 できるのが,こういう教育ブログの世界です。

 塾や部活動の世界というのは,そもそも

 「勉強したい人」「運動がしたい人」が集まるところです。

 そういう世界では,実は「教える人」がいなくても,子どもだけで活動が成立することもあります。

 それが学校の授業ということになると,180度変わった風景になることは

 容易に想像がつくことでしょう。

 すべての子どもがその時間,その場所に縛られて,「勉強しなければならない」場が

 教育現場というところなのです。

 午後3時すぎのことばかり書きたがるような人に,

 教師にとってためになる教育論など,とうてい語れません。

 音楽の授業を受けるなんて時間の無駄だと感じている生徒は,

 どのような態度をとるでしょうか。

 寝ていてくれれば他の生徒に害はないのですが,

 自分たちが好きな歌を歌っていたり,教室の前に出て急に

 ピアノをたたき出したり。妨害のし放題になるのが荒れた学校です。

 そういう行動に対して教師が有効な対処ができない状態を,

 「授業崩壊」といいます。

 荒れた学校の体育の時間は,まさに「自由時間」のように
 
 生徒がスポーツというか,遊びに興じていられたようです。

 音楽や体育のような「実技教科」の特徴は,

 「授業崩壊」している方がよほど子どもが生き生き,伸び伸びしていて,

 やりがいに満ちている姿が見られる時間となりうるということです。

 危険な行動を抑止したり,事故が起こったときの適切な対処ができさえすれば,

 国語や算数の指導力がない教師にも任せられてしまう場所でもあるのです。

 どうしたら,荒れた学校の実技教科が正常な状態で実施できるのか。

 それは,荒れた学校を部活動ではなく,授業など日常の生活で立て直せた

 学校の教師にしか語ることができません。

 私の持論は,「荒れた学校」を生む要因の一つが音楽と体育の教師にある,

 というものです。あくまでも持論ですが。よい学校が荒れていく過程で,

 授業は,この2つの教科から荒れていくことが多いはずです。

 普通教室の中で起こらない荒れは,学校全体からは見えにくいものです。

 しかし,この2つが荒れれば,確実に他の教科の授業の状態にも波及していきます。

 なぜなら,「心」と「体」「身体運用」の乱れがミックスされると,中学生というのは

 とことん「荒れ」始めるからです。

 音楽や体育の教師が生徒と「心の対話」ができないとき,

 授業は死にます。生徒にも教師の「人と対話できない心」が浸透していきます。

 ですから,荒れた学校を立て直すには,音楽と体育で優秀な教師を異動させるのが

 第一条件になります。

 音楽を通して「心」を育てることに成功しているかどうか,合唱発表会などが公開

 されていれば,すぐにわかってしまいます。

 教師が出過ぎていないか,競争させてしまっていないかが重要な観点ですが,

 生徒の顔を見るだけでわかります。

にほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へにほんブログ村 教育ブログ 教師教育・教員養成へにほんブログ村 教育ブログ 社会科教育へ
教育問題・教育論 ブログランキングへ

« 小中学校にお薦めの「学力向上策」 | トップページ | ダビデとゴリアテ ~学力向上策を見直そう~ »

教育」カテゴリの記事

学習指導要領」カテゴリの記事

教育改革」カテゴリの記事

リーダーシップ」カテゴリの記事

学習の評価」カテゴリの記事

ブログネタ」カテゴリの記事

学力向上」カテゴリの記事

教職教育」カテゴリの記事

仕事術」カテゴリの記事

教師の逆コンピテンシー」カテゴリの記事

教育実習」カテゴリの記事

教員の評価」カテゴリの記事

教員研修」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 何も語られていないのと同じ教育論:

« 小中学校にお薦めの「学力向上策」 | トップページ | ダビデとゴリアテ ~学力向上策を見直そう~ »

2021年11月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        
無料ブログはココログ

宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より