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« 道徳教育の真の恐ろしさ-2 | トップページ | 子どもと ICT に見捨てられていく教師 »

看板をかけかえるだけで同じことを繰り返す教育界

 教育界は,人から注目を浴びられるようなキーワードを待望するクセがあります。

 実際には,目先が変わっただけで,中身には変化なし。

 同じ内容が周期的にただ繰り返されているだけのブログがありますが,

 看板を変えただけで中身が同じというのが,

 今の教育の姿とぴったり一致しています。

 流行に乗ろうとしているのは,本当に表面的なものだけで,

 本質的なものを突き詰めていこうとすると,

 結局,「当たり前にできるはずのことができていない」状態を

 何とかしなければならないことに気づきます。

 学力調査の結果が下位だ,とあせっている県はあっても,

 上位の県で「こんな低い点数しかとれていないことは大問題だ」

 などと言える人はいない。

 相対評価がいかに人間の心理を動かすかが決定的に

 わかりやすい事例です。

 絶対評価の「実際の評価」から見て,あまりにも甘い評価が

 まかりとおっていることが明白にわかるはずのものが,

 全国学力調査の結果であるはずでした。

 中教審の答申が出ると,新しい学習指導要領の「目玉」探しが

 行われます。

 そのために知恵をしぼることは,子どもを相手にしていない行政の
 
 お仕事。

 現場の教師は,ただひたすら「できないものをできるようにする」

 努力を積み重ねていくだけです。
 
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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より