ウェブページ

最近のトラックバック

本の検索・注文


  • サーチする:
    Amazon.co.jp のロゴ

« 社会学者の「妖怪」発言と女性議員 | トップページ | 仲間ではない人間の目には見えない世界 »

限界を超えた「見せかけの学力」と「見たままの学力」の乖離

 東京都の私立高校の推薦入試で使われる合格のための基準は,

 中学校が出す評定をもとに決められている。

 3教科で12以上,5教科で20以上などという形で示される。

 しかし,評定が甘くなっている現状から,期待したとおりの

 「見たままの学力」,すなわち基本的な問題を解いて正解を答える

 能力が出せていない生徒が増えている。

 したがって,「見たままの学力」で具体的な成果を連続して出している

 ことが示されれば,それで判断してくれるという高校が現われている。

 かつて,「偏差値入試」とよばれて批判されていたものだが,

 高校側としては,そっちの「見たままの学力」で判定した方が,

 「見せかけではない学力」もある程度は正しく判断できるという実績が

 積み重なっているために,中学校が出す「見せかけの学力」よりも

 「正しい」合否判定が出せるから,「偏差値入試のどこが悪い」という話になる。

 かつては新聞も真面目に「偏差値入試の問題」を取り上げてくれていたが,

 さすがに「見せかけの学力」の信頼性が失われている状況では,

 「正しい方を間違っていると言えない」という記者なりの勘に基づいて,

 「スルー」する傾向になっているようだ。

 現状は,「見せかけの学力」と「見たままの学力」の乖離が激しい生徒が

 多く,もはや「中学校の評価・評定は信頼に値しない」ことが

 当然のことになっている。

 この問題に拍車をかけているのが,学力調査の結果である。

 この調査と評価・評定の相関をとられたら,ひとたまりもない学校・学級が

 出てくるおそれがある。

 一人の生徒が「たまたま」学力調査ができなかっただけ,

 ではすまされないほど,データはそろってしまっている。

 実態として,ほとんどの中学校の教師たちは,現行の評価・評定システムが

 完全なものだと思っていないはずである。

 その最大の証拠を,明日の記事でご紹介したい。

にほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へにほんブログ村 教育ブログ 教師教育・教員養成へにほんブログ村 教育ブログ 社会科教育へ
教育問題・教育論 ブログランキングへ

« 社会学者の「妖怪」発言と女性議員 | トップページ | 仲間ではない人間の目には見えない世界 »

教育」カテゴリの記事

学習指導要領」カテゴリの記事

教育改革」カテゴリの記事

学習の評価」カテゴリの記事

学力向上」カテゴリの記事

教職教育」カテゴリの記事

教師の逆コンピテンシー」カテゴリの記事

教育実習」カテゴリの記事

教員研修」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 限界を超えた「見せかけの学力」と「見たままの学力」の乖離:

« 社会学者の「妖怪」発言と女性議員 | トップページ | 仲間ではない人間の目には見えない世界 »

2019年11月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
無料ブログはココログ

宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より