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「すべての子どものため」=「特定の子どものため」

 「すべての子どものため」という理想を教育で実現しようとしたら,

 「特定の子どものため」の支援が必ず必要になる。

 それを,子どもたちに丸投げしてしまうのが極端な「学び合い」である。

 「学び合い」の場面としてとても有効的なものは,学級の自治会とか,

 行事の運営にかかわる面とか,特別活動や道徳にかかわるテーマが

 望ましい。

 教科の指導では,極端な「学び合い」は不向きである。

 小学校では,教科で指導すべき内容が「すかすか」で時間に余裕が

 あるため,ある程度の「学び合い」は許容される。

 しかし,中等教育の世界に入ってまで教科で「学び合い」に重点を

 おけば,大失敗が待っている。
 
 大失敗が大失敗で終わらないように見えるのは,ただただ

 教師の指導力が乏しいからにほかならない。

 教師が教えても,生徒が教え合っても同じだというのなら,

 教師は必要ない。

 ICT機器の活用にしろ新しいカリキュラムの導入にしろ,

 もし「すべての子どものため」という理念を掲げたいのであれば,

 それは「できない子どもをできないままにしておかない」という

 当たり前の指導が必要となる。

 授業力の向上には,まずは個人指導から入っていくという研修方法も

 考えられるのではないだろうか。

 目の前の一人の子どもに「理解させることができない」学生には,

 教師になる資格はないだろう。

 ICTを活用すれば,どれくらい子どもの理解を助けることができるのか,

 そのような観点で研究をしていた教師で,ある一定の成果が得られた人なら,

 たった一人しかその対象となる子どもがいなくても,

 授業で機器を活用する努力をすべきである。

 「すべての子どもを」とうわごとのようにつぶやいている教師の中には,

 「すべての子どもが使えないとだめ」という妄執がとりついている場合がある。

 「すべての子どもを」という用語を使っている人間は要注意である。

 「一人一人の子どもを」という発想で教育は語りたい。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より