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24時間監視つきの子ども社会

 記事のタイトルは,当初「子どもの24時間監視社会」にしようとしたのですが,

 誤解を招くおそれがあるので,こうしました。

 どこかのニュースで,子どものスマホ利用の規制が各自治体に広がっていること,

 その規制を子どもが歓迎している面があることを知りました。

 子どもたちの生活空間は,学校にとどまらず,

 家庭でも,深夜でも,ネットによって縛られるものになっています。

 LINEなどを利用して,いつでも「会議」が開けるようになった

 「子ども社会」は,ブラック企業よりも厳しい「24時間運営」の世界です。

 常に「監視」されているのといっしょで,

 「仲間はずれ」にされたくなければ,

 オールタイムでつきあいをしなければなりません。

 もちろん,夜9時以降は禁止,などとなっても,

 子どもの「地下社会」はおかまいなしです。

 いくつものグループに参加している中学生は,

 それこそ売れっ子芸人のように,超多忙の毎日を送っているのでしょう。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より