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小学校教師が勘違いしている「個に応じた指導」

 校長や副校長,教務主任がしっかりしている小学校,あるいは,

 教育課程届けを受理するときに,適切な指導ができる指導主事がいる自治体では,

 指導計画を作成する段階で,次の点に関する具体的な指導のあり方を

 決めているはずである。

>各教科等の指導に当たっては,児童が学習内容を確実に身に付けることができるよう,学校や児童の実態に応じ,個別指導やグループ別指導,繰り返し指導,学習内容の習熟の程度に応じた指導,児童の興味・関心等に応じた課題学習,補充的な学習や発展的な学習などの学習活動を取り入れた指導,教師間の協力的な指導など指導方法や指導体制を工夫改善し,個に応じた指導の充実を図る

 最も重要な役割を果たすべきなのは,校長である。

 最近の調査では,小学校の校長も授業をただ参観するだけではなく,

 授業の指導を行ったり,参加したりしているようである。

 「すべての子どもをすべての教師が育てる」という態度が,学校には求められている。

 開かれた環境をもつ小学校では,すべての教師の週案をだれもが閲覧でき,

 学習指導について経験豊かで研究歴も多い教師が,指導計画を見て,他の学年の

 若い教師に直接アドバイスできる仕組みができているはずである。

 学校全体で広く意見交換ができる雰囲気をつくれるかどうかは,校長の力量にかかっている。

 ほとんど同じ内容を,毎年,他の教師が繰り返して教えている小学校では,

 児童の学力にかかわらず,成果が出たり出なかったりする。

 誰にどの程度の力が足りないかは,校長ならわかっているはずである。

 だから児童に個に応じた指導を行うための大前提には,

 教師に対する個に応じた指導が必要なのである。

 時間がないからといって,力のある教師が,本当に自分の学級の子どもだけの

 めんどうを朝から晩までやっている,というのは,校長としては見過ごすべきではない

 「自己満足」である。

 学校には,校長,副校長,教頭,主幹教諭,指導教諭,教諭,養護教諭や栄養教諭など,様々な専門性をもつ教職員がいる。

 それぞれが孤立し,独自の教育を自分の学級の子どもたちだけにやっている,

 などということが許されてよいはずがない。

 「おれは忙しいから手は貸せない」などという傲慢な教師が育てる子どもには,

 同じような閉鎖性が人間性の根っこから染みついてしまう。

 「学級引きこもり人間」を小学校から一掃し,開かれた学校環境をつくることは,

 校長にとって非常に重要な責務である。

 学年単位,部活動での異年齢集団単位で動くことが多くなる中学校に,

 「学級引きこもり系」の子どもは不適応を起こしてしまう。

 小学生とはいえ,一人一人,能力・適性,興味・関心,感受性,性格,担任との相性などは,

 すべて異なっていると考えてよい。その対応を一人の担任教師が行うのは無理というより,

 「不適切」である。

 中1ギャップのもとにもなる,担任依存症の子どもをつくらないためにも,
 
 多様な見方・考え方,感受性をもった大人とのふれあいを増やしてほしい。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より