表現力に乏しい「秀才」たちをどうするか
小学校の授業を参観すると,子どもたちが元気に挙手して,
発言の許可を教師からもらおうと,はりきっている。
ただの時間の無駄にしか見えないが,何もわかっていない
子どもでも,手を挙げているだけで意欲的に学ぼうとしているように
見えるから,小学校の教師たちにはやめられない悪習なのだろう。
想像してみてほしい。40の手がこちらに向かって差し出されている。
教師の方には,「選ぶ権利」がある。
絶対に発表したい,という意欲に燃える子どもは,
声でもアピールする。自分に酔いたい教師には,欠かせない
クスリであろう。
しかし,こういう原始的な教室風景は,まともな学校では姿を消していくだろう。
人間は,譲り合うことを学ぶ動物でなければならない。
自分ではなく,他人に機会を与えることも,道徳で教えるべき美徳である。
いつになれば,「挙手合唱」がなくなるのか。
それは,子どもが教育されたときである。
中学校に入ると,たいてい「俺が俺が」はなくなっていくが,
逆に問題になるのが,「わかっていても,発言しない」生徒が増えることである。
しかし,観点別学習状況評価のここだけは優れている点で,
「表現しない限り,評価はされない」仕組みができている。
ときどき,テストが100点なのに,なぜ通知表が「5」ではないのか,
と苦情が寄せられる学校があるようだが,
知識面だけを問うたテストの100点分は,
総合的な評定を数値化して,四観点のバランスを1:1:1:1にすると,
それは100点満点で25点分にすぎない,と示してあげることになる。
教師がまともな学校では,思考力や判断力を問うて,ある程度の文章で
書かせる問題を出題しているが,業者のテストを見る限り,そんな問題は
1割もない。だから,テストで100点を取っても,総合評価の中では
せいぜい40点くらいにしかならない。
実は,残りの60点分の評価の場面が学校には存在しないのではないか,
と疑われる教育が,かなりの部分でまかり通っているのが今の中学校である。
「秀才」たちが,自分の能力を伸ばす場面を用意してもらっていない。
そこが大問題なのである。
特に,表現力に乏しく,知識面に著しく偏るタイプの「秀才」を何とか
してあげなければならない。
教師の言葉遣いがどうだとか批判されている自治体は,
そんなことを考えるレベルにないことは言うまでもない。
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