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一人一人は大勢から教わっている

 一斉授業の問題点を挙げている人の言葉を読むとき,

 指導力のある教師の授業を受けた経験がないのではないかと

 気の毒になってしまうことが多い。

 また一方で,「教師と子ども」という視点でしか,一斉授業のあり方を

 とらえていない人もいることがわかる。

 いずれも気の毒な人たちである。

 子どもにとって,一斉授業では,クラスにいるすべての子どもの意見や

 考えにふれることができる。

 まさに一斉に,Aという考え方に賛成している人と,反対している人を
 
 挙手などで確認することもできる。

 もちろん,自分の意見や考えを,クラスのすべての子どもに一斉に
 
 聞いてもらえることもできる。

 こういう子どもを中心に見た「一斉授業」観というものを,必死に訴え続けていた

 先人たちに申し訳なく思う。

 せっかくの「教育論」も,その「受け手」が不在で役に立っていない。

 ある教師は,おちこぼれをなくそうとして,一斉授業ではない方法で

 授業改善を図ろうとしているのだが,目指すべき場所は,

 一斉授業の場で,「おちこばれ」でも自らの存在感を堂々と示せる

 指導を展開することである。

 最後に,簡単な質問をすれば,中学校レベルになると,

 「理解できた生徒」と「理解できていない生徒」の区別など,簡単にできる。

 また,「理解できていない生徒」をゼロにすることなど,まず不可能である。

 理解水準を極限まで下げれば話は別であるが。

 理解水準を下げて過ぎている事例がたくさん紹介されている。

 最もつまらない授業は,結論がわかっている授業であるが,

 今の時代は,結論を初めから堂々と出して,ゴールにたどりついたらOKなんていう

 とんでもない授業観ですら,悪びれることなく大学でも講義されているようだ。

 別に,授業の達人とか,名人になる必要はない。

 そんなタイトルを堂々と書名に採用させるような,傲慢な人間にもなってはいけない。

 学校の教師は,一斉授業の場で,力量を形成していくのである。

 「学び合い」は,力量形成の場を奪うものであり,子どものためにも,

 教師のためにもならない。

 どうしても行いたいなら,50分授業のうち,5分から10分程度に制限して行ってほしい。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より