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3分の2世紀先輩の勇姿

 私が今,教えている生徒たちから見ると,私は3分の1世紀ほど先輩である。

 私から見て,3分の1世紀ほど先輩である方を招いての学習会があった。

 生徒から見ると3分の2世紀先輩である。

 お話は,時に脱線し,先を促す勇気をふるう司会役の生徒の姿も印象的であった。

 1時間の学習内容は非常に濃密であった。

 たった10分ほどだったが,10人以上の生徒の質問にもてきぱきお答えいただき,

 最後は記念写真で終わり・・・・のはずだったが,

 その後も先輩に質問に来る生徒が多かった。

 先輩は,傾きかけている夕陽を浴びながら,立ったままで

 多くの生徒の追加質問に答えていた。

 先輩たちが,どのような未来を後輩にたくそうとしているのか。

 受け止め方は様々であろうが,まだまだ知らないことが多い。

 毛沢東が話していたことを直にその場で耳にされていた方である。

 本には載っていない意外な話も飛び出した。

 生涯現役という人間のお手本のような勇姿であった。

 あと3分の1世紀がすぎると,子どもが自分の年になり,自分が先輩の年になる。

 どんな社会になっているか,

 どんな社会になっていてほしいか,また子どもたちと語り合いたい。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より