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子どもは着せ替え人形ではない

 学力向上のための取り組みの多くは,ごくごく「表層的」なものである。

 小学校2年生の子どもの宿題量が増えている。

 「やっとけ」系のこのような課題は,ますます「自ら学ぶ意欲」を奪っていくもの

 であることに,教養があってその地位についているはずの教育長やらが

 気づいて校長に指導しなければならない。

 それが,教育長自らが旗をふっているところもあって,悲しい限りである。

 子どもにいろんな服を着せてもらうのもいいが,

 身動きがとれない子ども,サイズが合わなくて困っている子どもが

 想像できないものだろうか。

 子どもは着せ替え人形ではない。


 私は,研究のために,毎年異なる課題を子どもに取り組ませている。

 実験台のようなイメージもあるため,自分自身には

 「子どもは着せ替え人形ではない」ことを常に言い聞かせつつ,

 すべての子どもにとって学習がムダにならないように指導に生かしている

 つもりである。


 ブログも子どものようなものだが,せっかく新しい住居に引っ越したのに,

 本性が変わらないというのは情けないというか因果なもので,

 また教育の世界を汚すような毒をまいている人間がいる。

 まるごと自分自身のことを,他人にそっくり置き換えて,けなし続けている人間である。

 当事者が読んでいたら不愉快になるだろう,という想像力はだれでも働かせられる。

 人格ごと否定された教師も同様である。

 
 子どもは着せ替え人形ではないが,匿名ブログなどは,看板を替えて

 内容をクリーンにすれば,当事者以外には,いつかは「過去」が忘れ去られる。

 着せ替えはそういう目的ではなかったようだ。

 
 自分の功績(と自分が信じていること)が社会的に認められなかった人間の

 自己顕示欲は,匿名ブログのように書き手の正体が不明の場合は,

 こんなにも強くなるのかと改めて気づかされる。
 
 わざわざ断り書きを入れてくる当たりは,まるで童話に出てくる悪者役である。

 
 子どもたちは,大人たちの汚さを常に感じながら育っている。

 だから本音を建て前でわざわざ隠すようなことを教師がやっている道徳の時間が
 
 大嫌いなのである。

 「俺は偉くはない?だったら,教壇に立って偉そうなことを言うな!」

 と叫びたい中学生はたくさんいるのである。

 
 大人の気色悪い衣装で本当に大切な感性の成長を奪われている子どもが気の毒でならない。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より