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子どもをタイプ別に分けて考えてはならない

 子どもに限らず,人間に「完成」などはない。

 どこか必ず人より劣った点をもっており,

 「これで満足」と思ってしまうようなことも

 「欠点」の一つである。

 能力開発途上の子どもたちにとって,

 邪魔な存在は,余計なレッテルを貼ってくる

 教師たちである。

 人間は,「わかりやすく理解しよう」とする

 単純な面をもっていて,教師もその点では

 非常に「人間らしく」,子どもにレッテル貼りを

 していく。

 「おとなしい子」
 
 「活発な子」

 「賢い子」

 「落ち着かない子」

 などなど,カテゴリーに分けて整理することが

 できてしまう「ベテラン」もいるだろう。

 これでは「教師」のレベルに達しているとは言えない。

 「今はできないが,そのうちできるようになるだろう」

 というのを楽観主義というが,それですませてしまえるのは,

 給料をもらっていない人だけである。

 「こうしたら,ここまではできるようになった」

 という段階を経て,子どもを成長させるのが教師である。

 今の通知表の評定のように,おそろしく基準を落として

 しまうような教育をしていたら別だが,

 基本的にはすべての子どもに学習指導要領が示す

 内容をすべて習得させるのは難しい。

 だが,習得の出来なさ加減に応じた指導というものはできる。

 それを「個に応じた指導」というが,それができていない

 学校が多いのは,言うまでもない。時間がないからである。

 できないのに「します」と書いてあるものを教育課程届けという。

 教師が成長の鍵をすべて握っているわけではない。

 教師ではなく,子ども同士のはたらきかけで

 子どもが成長できる場面も,もちろんある。

 それは,教師がお膳立てしてあげることで,効果が増す。

 どれだけの角度から,子どもの成長へのプロセスを

 想定していけるかは,教師の指導力に左右される。

 単純な人は,ものを多面的に見られない人,

 と言い換えてもいいだろう。

 

 指導力不足の原因は,非常に複雑で,要因も一つ

 とは限らない。生育歴に大きな課題をもっている教師か

 どうかは子どもの生徒指導と同じで,特定の場面で

 気づいてしまう。どうしてここで,愛情のある言葉を

 子どもにかけることができないのか・・・

 そういう感情を親が育ててくれなかったためである。

 指導力不足というのは,単なるレッテルではなく,

 とても根っこの深い,改善が困難な問題で,

 どこの教育委員会の研修担当も,頭を痛めている。

 自分が言っている他人の行動への文句が,ストレートに

 自分自身の行動にあてはまっているのに,

 それに気づけない人間というのは,

 絶対に教職についてはならない。

 1年目からでもトラブルを起こす。

 
 だめなものは,だめと言い続けなければならない。

 子どもと同じである。

 同じ失敗を100回繰り返して,ようやく失敗の頻度が

 1%減る,なんて子どももいるかもしれない。

 
 小さな前進,小さな成長を常に期待しておきたい。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より