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「できる子」向けだけにお金をばらまいていては,教育の質は向上しない

 指示通りでないことを能動的にやられることに批判的で,

 消極的である(目立たない)ことには寛容である・・・・・

 こういうダメな教育と同じことをしているのはだれでしょう。

 学校の適正規模という基準をおいておきながら,

 それが守られていない学校の数が全国にいくつあるか,

 担当者はすぐに答えられるはずです。

 そういう「基準が守られていない」ことには寛容で,

 「基準から積極的な意味ではずれる」ことには敏感に

 反応し,是正を求める。

 競争を求める路線は小泉内閣のころから継続しています。

 いい研究を行う学校には,お金をあげます。

 お金をあげたあと,その研究で成果がなかったからといって

 とりあげることはしない。

 研究の成果など,作文でいくらでもつくることが可能です。

 ダメな状況を示す数字は隠しておいて,

 少しだけでも改善した数字と比較するだけでよいのです。

 それだけ「成果」を言挙げしても,内容を細かく検証する

 人間などいない。どこかの研究機関のように。

 モラルを教える側の立場が,

 お金でご褒美をあげるようなしくみを平然と実行している。

 むしろ,文部科学省が示している基準(これはあくまでも

 基準にすぎないことが重要なわけですが)とは異なる尺度で

 成果を探るような学校にこそ,未来があるかもしれないわけです。

 そういうところでこそ現われている成果から,

 何を学ぶべきか。

 最終的には,「人」である,というあまりにも当然の,

 過去の歴史からも学べる事実。

 その「人」との接触の機会が減らされている現状=学校の小規模化

 に歯止めをかけない省庁を「正してくれる」のは財務省,

 そして内閣総理大臣しかいません。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より