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私が出会った中でも最低の教師

 少子化が教育の質を上げる決め手になるのなら,すでに

 相当程度,教育の質は向上していなければならない。

 学校や教師の数はそれほど減っていないために,

 学校選択自由化で人気が高い学校以外は,
 
 自動的に学級の生徒数が減少しているからである。

 1学級の生徒数が30人以下の学級も少なくない。

 少子化=教育の質の向上ではなく,

 教師の努力×教師の指導力が教育の質を決める。

 お金が重要なのではない。

 子どもを塾に通わせずに難関大学に入学させた

 親が本を出版して話題になっているが,

 お金があって,塾に通わせれば学力が上がるとは

 限らない。

 同じように,お金を学校につぎ込んでも,成果が

 出るとは限らない。むしろ逆の効果の方が高いというが

 私の考えだが,別の機会で述べていた。

 

 今日は,私が出会った最低の教師の話を一つ。

 さすがに,同僚だった人の悪口は書けない。

 たとえ上司(管理職)であったとしても。

 (管理職の悪口を堂々と,平気でかけることが,

 最低の教師の条件の1つであることは言うまでもない)

 ある教師は,他の教師の「国語力」を問題にして,

 バカだとか頭がおかしいとか非難していた。

 そして,自分自身の間違いを指摘されると,

 「重箱の隅をつつくような嫌なやつ」

 「揚げ足取り」などと,逆ギレした。

 最低の教師である。

 子どもにも同様の容赦のない言葉をかけるのだ。

 こういう教師は,私が児童・生徒のときにも目にした

 ことがあり,教師の中には本当にダメな人がいるのだな

 と「感心」していた。

 「こんな大人になってはいけない」ということを,

 身をもって教えてくれる価値の高い存在だと

 認識していた。人間としては最低だが,

 「教師」としての一定の役割を果たしている,

 と感じた。「反面教師」という言葉を知る前の話である。

 ただ,親になると,そうも言っていられない。
 
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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より