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遅すぎた小中学校の統合促進政策

 公立小中学校の統廃合の指針が58年ぶりに見直される。

 政府がようやく学校再編を促す政策を実施する。

 このブログでは何度もその必要性を訴えてきたが,単なるかけ声だけでは

 設置者である自治体が動くことはない。

 統廃合のための校舎改修費への補助が拡充され,

 財政面のハードルが下がる,ということになって,

 ようやく重たい腰を上げるところが増えてくることだろう。

 公立小中学校の小規模化の弊害は,はかりしれない。

 まず,子どもの数が大幅に減少しているのに,

 教師の数がそれほど減っていない。

 大量採用の時代の教員たちが退職する時期に,

 また再び大量採用を行うという痛恨の事態が始まっている。

 もっと早く統廃合の後押しをしていれば,こういうことにはならなかった。

 学校の小規模化は,教員の力量形成の機会も奪っていった。

 研究や研修の世界でも,おそるべき現象が起こっている。

 20年前には「当たり前」だったことが,

 今になって「これは画期的だ」なんて騒いでいる連中がいる。

 先人たちが築き上げてきた大切な財産が,引き継がれていない。

 いまだに35人学級の実現を求めている人がいるが,

 実態はすでにそうなっている。むしろ,

 子どもの数が減りすぎて,1学級の生徒数が少なすぎることが

 問題になっている。生徒数が少なくなれば,教師の目が行き届き,

 学力も向上するなんていう話は幻想であることがすでに証明
 
 されているのだ。

 今,学校選択自由化が行われている地域では,人気と活力がある

 学校に子どもが集まり,むしろ生徒数が多いところの方が学力が

 高いところもある。当然と言えば当然の結果である。

 教師は子どもに育てられ,同僚に育てられる。

 その相手が少なくては,成長の機会も限られてくる。

 公立小中学校への期待感が乏しい今こそ,規模の拡大によって

 学校の活力を蘇らせるべきである。

 統合とはいえ,実質的に廃校になる小中学校が増えていくが,

 むしろ廃校後のその施設の方が,より住民のためになる,

 という具体策を実行していくのは,住民自身の仕事である。

 「自分のことは自分でやる」という意識がない人たちの場所に,

 民主主義も何もない。

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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
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    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より