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道徳教育の真の恐ろしさ-2

 道徳教育に限った話ではないが,

 教師が「A」ということを教えようとして,

 生徒が「A」ということを学ぶという当たり前のことが,

 簡単にいく場合とそうでない場合がある。

 A=自分に正直になること

 を例にとると,

 うまくいえば,自分をいつも何かでとりつくっていた生徒が,

 本当の自分を表現できるようになるかもしれない。

 しかし,それを強制するようなものは「教育」ではない。

 道徳教育の恐ろしさとは,たとえば,

 教師が「A」ということを教えようとして,

 生徒が「Aとはどうでもいいことだ」を学ぶ可能性があるということである。

 教師がAに対してどういう価値観を抱いているかは,

 教師の言葉はもちろんだが,態度でも伝わる。

 言葉はなくても,態度で伝わる。

 もちろん,誤解がおこる可能性もある。

 「A」を学ばせよう,と教師が考えていても,生徒が「B」という価値の方を学ぶ,

 ということも起こる。

 実は,教育の現場でもあまり意識されていない可能性があるのは,

 この「Bを学ぶ」という効果である。プラスの意味での波及効果である。

 Aとは異なるBを生徒が学べた場合,

 生徒の側では「自分の力で学んだ」という実感がわく。

 こうして学んだBは,生徒の血肉になっていく。

 教育の恐ろしさとは,このBが「善」の世界に入るものならよいのだが,

 「悪」の範疇に入るものである場合が考えられることである。

 こうやって教育の怖さを突き詰めて考えてしまうような人は,

 きっと小中学校の教師にはなれない。なれても自分が病んでしまう可能性がある。

 大学にいた方がよい。

 今,大学の生徒指導というか,メンタル面での指導も大変だそうだから,

 もはや教師の「逃げ場」はどこにもないのかもしれない。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より