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後方重点の「日本語論理」の生かし方

 よく日本語の論理が「後方重点」なのに対し,

 欧米の言語では「前方重点」・・・つまり,言いたいことを先に断るため,

 日本人の政治家が外交の場で何気ない「枕」として語る言葉が

 重く受け止められ,問題にされるということが起こっていると言われます。

 この問題を避けるには,

 「私の話は,最後が肝心です。最後までしっかり聞いて下さい」

 と断っておくという方法もあるでしょうが,外交の場では,

 相手の言語感覚に合わせた「前方重点」に変更しておいた方が無難でしょう。

 学力向上への取り組みとして,

 「授業のはじめに目当て=目標をはっきり提示しておくこと」

 が大事であると言われています。

 しかし,これは非常にレベルの低い話であって,そもそも1単位時間に

 1つの目標なんていう話は内容が乏しすぎるし,結論を知ってしまう以上,

 もう参加する意味はない,と判断できる子どもがいてもおかしくないと考えなければなりません。

 目標が達成できたかどうかは,授業の最後に,

 こういうことが理解できた,と子どもが言えることに意味があるのであって,

 「先出し」するのはあまりにも芸のないことです・・・・・

 というのが「後方重点」の日本語的論理です。

 グローバル化に向けて,何でもかんでも「前方重点」に変えようとするのは,

 日本語を使って思考する私たちにとっては考え物です。

 時と場合によって,使い分けることができるようにすることが,

 学校教育の使命でしょう。

 ですから,当然,最初に目標を示す授業はあってもよいのです。

 そこから,その目標の枠をいかにはみ出せるかが,

 子どもと教師の「知力」のなせる技であって,

 私もどこかで参観した記憶がありますが,

 「今日,やる予定だったことは終わったので,あとは自習にします」

 なんていう残念至極の授業は根絶してほしいのです。

 気をつけなければならないのは,「後方重点」の日本語には,

 「大事なことが伝わらない相手がいる」ことへの配慮が必要だということです。

 もちろん,落語の「オチ」の意味が分からない人のために,説明が加わる
 
 落語は「分かる人」から見れば非常に「余計なお世話」なのですが,

 「古池や~」の句で感じるべきものは,「水の音」がした後の「静寂」だ・・・・

 というのは,気がつかない方が普通かもしれませんので,

 教師の存在意義が生まれるわけです。

 日本の教師は,後方重点の日本語論理の長所と短所をよく理解しながら,

 言葉を選ぶ専門家でありたいものです。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
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  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より