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今世紀初の親睦会

 先日,ある組織における「今世紀初の親睦会」に参加した。

 十数年のブランクを経て,「再開」された教員の親睦会である。

 私は組合には入っていないから,そっち系の親睦会ではない。

 純粋に,子どもを通じての関係は深いものの,なかなか顔を

 あわせる機会のもてない教員の親睦会。

 当然,「飲み会」で締めくくられる。

 次回は,「飲み会」を先にやって,親睦会を行い,さらに「飲み会」を
 
 行うという,「日本シリーズ形式」というプランも提案されたが,

 どうなるかわからない。

 しかし,「今世紀初の親睦会」というだけあって,滅多にできない

 大切な機会である。

 こういう「親睦会」が,教師の世界から縁遠くなってどれくらいたつだろうか。

 組合も弱体化し,自治体組織頼みの会ばかりになっていないか。

 特に「ボス」がいるわけではなく,

 声をかけあって集まる会。

 もちろん,こういう会に全く参加しない教師もいてかまわない。

 私はお酒が飲めないから,飲み会が待ち遠しいというわけでもない。

 会自体が「大切だ」「貴重だ」と思うから参加しているのである。

 小言を書こうと思ったが,やめた。

 言いたいことを直に言わないのが,日本式のマナーである。

 幹事の方々には感謝したい。

 今世紀二度目の会が待ち遠しい。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より