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« 日本の教科書を考える | トップページ | 国内基準で「楽観視してはならない」代表的な事例 »

なぜ低所得=低学力という図式を大事にしたがるのか?

 教師がそれを口にするとき,頭の中で考えていることは容易に想像がつく。

 全国学力調査のような,易しいテストの結果が悪い理由。

 「おれの指導力不足のせいではない」「家庭のせいだ」

 こういう見方をする教師や保護者がいるからこそ,都道府県別などではなく,市町村別でも生ぬるく,

 学校別の成績公表という選択肢をとりたくなる,

 「本気で教育改革を考えている人」が生まれてくるのである。

 なぜそうしたくなるかというと,情報を入手しているからである。

 「知る権利」の重要性は,こんな事例からでもよくわかる。

 「知る」からこそ,そのからくりが分かるのだ。

 教育改革とは,要は教師の力量の向上がど真ん中の中の真ん真ん中の重要課題である。

 偏差値が低い何とか大学の教員養成課程から来る教師が多いから,

 教師の学力が低く,指導力も低い,なんてことであきらめていてはいけない。

 もしそういう課題がある教師なら,本気で指導力向上のための努力をさせなければならない。

 前の学校でも指導力不足が問題になっていた教師が多い場合も,

 「仕方がない」ではいけない。努力をさせるのが校長の仕事である。

 大学受験までの学力が低かった教師の中でも,現場で経験や研修を重ねて

 指導力が高い人はいくらでもいる。

 環境が厳しい家庭の子どもが多い学校の中でも,

 学力向上の取り組みに全教師が本気になって成果を上げているところがある。

 それが,都道府県別・市町村別だけの結果公表では見えてこない。

 全教師を本気にさせることができる校長は,確かに一握りだけしかいないのかもしれない。

 しかし,国民に対して,「そういう事情なので,あきらめてください」などとは言えない。

 手が抜けるのなら,努力しないですむのなら,

 楽をして生きていきたいと思うような人間が多いのは仕方がないだろう。

 しかし,公務員がそれでいいのか?

 教師がそれでいいのか?

 そういう問いを突きつけてくれる人が,この国には本当に少ない。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
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  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
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    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
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  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
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  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
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