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「地球の裏側」と「裏日本」

 「日が昇る」「日が沈む」という表現や,「地球の裏側」という表現は,

 地動説や地球が球体であることを認識してからも,使い続けられています。

 太陽が地球のまわりを動いているとか,自分が立っている場所が平面であるということが,

 いかに「当たり前のこと」として受け入れられているかがわかる表現でしょう。

 逆に言えば,「地球が太陽のまわりを回っている」とか,

 「地球は球面である」ことは,なかなか認識しにくいことであるということです。

 それは,「人間は自分を中心に物事を考えているからだ」という説明では納得しにくいものです。

 ただ,そのような誤解を防ぐために,イギリスは

 「地球の裏側」を示す「対蹠点」という言葉を作り出しました。

 「対蹠点」という言葉は,日本の学校教育では地理で初めて学習するものかもしれませんから,

 そもそも「対蹠」という言葉が読めない人がいるかもしれません。

 イギリスは「地球の裏側」に植民地があったので,よく表現にも出てきたのでしょう。

 だから「裏」という呼び方を遠慮したのでしょうね。

 日本では,太平洋ベルトに工業地帯・工業地域や大都市が集中し,

 日本海側を「裏日本」と呼ぶような時期がありました。

 40代過ぎの人は,学校で習ったかもしれない呼び方です。

 しかし,普通に考えれば,日本海側の人たちに失礼な表現であることは明らかです。

 いつ頃からかは忘れましたが,そのような表現はされなくなりました。

 地理的な事象の表現で,このように「差別的」なニュアンスが生まれる背景について,

 単に「自分中心が考えるくせがある」ことではなく,

 そもそも人間の思考が「平面思考」であり,「球面思考」ではないこと,

 「ところ変われば意味が変わる」ことに気づけない面があることが問題だ,

 と指摘しているのが外山滋比古です(『考えるとはどういうことか』集英社インターナショナル)。

 「正しい解釈があるのだから,自分の勝手な解釈はよろしくない」

 という考え方のうち,気をつけるべきものにナショナリズムや宗教があると指摘しています。

>本来は人間社会の平和に貢献すべき宗教が戦争の原因になるのは,自分たち以外の価値観を認めようとせず,平面思考で凝り固まっているからにほかなりません。

 さまざまな宗教を学習する中で,その「欠点」や「理解できない点」,「嫌な点」に着目させるような教育をしてしまうと,まさに平面思考を強化することになってしまうおそれがあります。

 教師の側に,そうするつもりはなかったとしても。これが教育の難しさでもあり,

 世界の人々が共存共栄を図ることの難しさでもあります。

>山の杉の木のように,ケンカをせずに高さを競えばいいのです。

 そのようにうまく地球をおさめていくことは可能でしょうか。

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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
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  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より