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ひとりぼっちでは,教育は語れない

 これから1週間の間に,多くの国の方々の訪問を受ける。

 授業を参観されたり,体験をされたりするプログラムが用意されている。

 こういうときの,「見た目の派手さ」を私は今まで気にしないできたが,

 ほんの些細なやりとりを外国の方々と生徒がするだけで,

 とても「派手」なシーンができあがる。

 言葉ではなく心がつながっていることが,映像から伝わってくるような

 シーンが撮影できるだろう。

 その空気感の中に,次のステップへの大きなヒントが隠されていそうな

 気がしてならない。

 教育現場には,こうした「期待感」の持続がとても大切である。

 研究や研修は,ひとりぼっちではできない。

 教育をひとりぼっちで語るような行為は,哀れすぎて気の毒である。

 自分の目で,現場を見る機会を失わないように努力してほしい。

 自分の目でしっかり見て,心で感じ取ったことをもとに,

 発信してほしい。

 現場で語るから,現場は応えてくれるのだ。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より