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教師をどうやって育てるか?

 教員養成系の大学の教師はもちろん,

 学校現場の教師も,

 あるいはとても見識の高い保護者や地域の人たちも,

 日本の将来を背負う子どもたちの教育の大部分を任せる

 教師をどうやって育てることができるか,

 真剣に考えてくれていることと思います。

 大学の教師の場合は,

 「こういう学生に早く教師になってほしい」と願う対象が採用試験に合格できず,

 学校現場の教師の場合は,

 「どうしてこんなのが試験に合格できたのか?」と頭を抱える現状もあるので,

 「育てたい人がそこにいない」という問題も浮上するわけですが,

 とりあえず,採用されて教師になった人を対象とした話を書こうと思います。

 なぜそういう内容を書こうと思ったかというと,

 苫野一徳著『教育の力』(講談社現代新書)を読んで,

 ますます「教師を育てることの大切さ」を実感したからです。

 書かれている内容を読む限り,「いままでどういう教師に接してきたのだろう?」

 と不安に思うことばかりです。内容の批評はここでは控えます。

 「よい教師はどのように育つか」といったら,それは

 「よい生徒」によって育てられている,というのが私の考えです。

 「よい生徒」とは,教師になってから接する「相手」だけとは限りません。

 自分が生徒だったときの,「よい生徒」も大切な「教師育成者」です。

 学校という社会での人間関係は,一般社会でのそれとは少し異なっていることは,

 多くの人が認めることでありましょう。

 そこで成功した体験,充実した体験,あるいは,明らかに失敗した体験があることが,

 「よい教師」になるための条件であるように私は思います。

 ですから,教師としての私が伝えたいのは,

 教師の卵は,現在の,学校現場で着実に育てられている,ということです。

 能力が高い子どもは,教師という職業を選ばないかもしれません。

 しかし,その子どもたちも,着実に教師になるのに適した人物を

 育ててくれているのです。

 様々な面の成果が出せない子どもも同じです。

 「よい教師」の卵を育ててくれています。

 大学の先生は,何ができるのでしょう。

 もし,大学の先生を育てたいのであれば,そこでの学びを充実させることが

 最優先ですが,教育現場に立つことを夢見ている学生たちには,

 小学校1年生から高校3年生までの4月から3月までの動きをしっかりと

 思い起こさせ,それぞれの段階で教師と子どもにどのようなかかわりが

 あったのかを文章化させてみてはいかがでしょう。

 その中に,それぞれの学生の「適性」や教師になった後の「成長の遺伝子」が

 隠されているかもしれません。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より