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忠告を嫌みとしかとれない小さい人間は消えていく

 外山滋比古が,かつて月刊『英語文学世界』の編集後記で

>この調子でいけば英文学科は大学から姿を消すだろう。

 と記したとき,とくに英文科の教師から,「なぜそんな厭味をいうのか」と悪く思われたという。

 大学英文科の人気があったころの話である。

 そのときすでに「危惧の念」をもてていた人間と,そうでない人間の違いは,

 「今の姿」でわかるのではないか。

 ここ数年で,大学から英文科が消えていっているらしい。

 中身はほとんど同じで,

 単純に看板を「比較文化」などと変えているだけのところもあるかもしれない。

 しかし,人気がなくなったのは事実のようである。

 それはなぜか,ということに思考をはたらかせるためにこの話題を出したわけではない。

 何か言われたときに,

 それを「厭味」ととるか,「よき忠告」ととるか,

 「思考の材料」にするかは,受け手次第であるということである。

 批判をされると,条件反射的に相手を「上から目線の嫌なやつだ」と決めつけて

 思考停止とともに相手への攻撃だけに陥る人間がいる。

 利己的な自己防衛機能だと単純に評価することもできるが,

 崩壊しかけている自分に気づけない人間を放っておけないのが

 「教育の世界」の人間である。

 だから,さらなる「忠告」が必要となる。

 具体的な内容を何も示さずに,ああだ,こうだ,とわめき散らしてみたところで,

 何も始まらない。

 具体的な内容を示すと,「おまえが間違っている」と言われることがこわいのかもしれない。

 実際に,そのような内容かもしれないし,たとえそのような内容ではなくても,

 「反対意見」があるのは当然のことである。

 それを,「思考力がないのにそんなこと言うな」などという「思考停止」系のキレ方をしているようでは,

 間違ったことを言っていなくても,「おまえが間違っている」ということで終わってしまうのである。

 スコットランドでも,独立したい,独立したい,と言ってみたところで,何も始まらない。

 住民投票にまでもってきたことに意義がある。

 過半数がとれず,実現できなかったとしても,

 「そういう気持ちをもっている人が半数近くいる」ことが明らかになったことの意味は大きい。

 実際に,自治権の拡大という「成果」も手に入れることができるようになるのだろう。

 自分で何を評価しているのかを具体的に言わずに,

 逆の評価をしている人を「頭がおかしい」などと呼び捨てるような行為はやめるべきである。

 どのような行為が「利己的」で,それがだれにどのような損害を与えているのか,

 どのような損害を与えているから,「利己的」な考え方にどれだけのデメリットがあるかを

 訴えるような主張をしなければならない。

 損害が単に「自分が傷ついた」というだけの話なら,それこそ「利己的」な心理的名誉回復の欲求にすぎない。

 こういうブログの世界では,社会から隔絶されたたった一人の立場になっても生き続けることが可能である。

 しかし,自分で自分のブログによいしょコメントを他人になりすまして書き込むような寂しさは,見ていて本当に気の毒になる。

 ブログの世界でも,よいしょされるだけが「存在価値」とは考えず,

 忠告をしっかりと受け止めて「成長している自分」を示すことに価値を感じてもらえるとよいと思う。

 この記事は,生活指導の場面で,同じような指導を中3にしたこともあって,書き留めておいた。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より