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国内基準で「楽観視してはならない」代表的な事例

 思想や信条によって人を差別してはならない,とする原則は,

 場合によっては曲げておかなければならない人たちがいる。
 
 多くの日本人はそもそも「思想や信条」に大きく左右されない毎日を送っているのと,

 差別することで事態が悪化することが多いので,今回のような

 「ミス」が起こってしまう。

 それは,国内では「単なる新閣僚とだれかのツーショット写真」ですむが,

 海外から強い非難が起こっている写真である。

 
 思想や信条によって差別しない,という原則に基づく行動が,

 まさに特定の思想や信条による差別が行われてきたことへの反省ができていないという

 批判の根拠になる。

 写真におさまっている両者ともに,今回の件では,目先的に見て,

 「国益に反する行動」をとっているように思える。

 いまだに「18」とか「88」という数字を使ってはならない,という国があること,

 その理由を知っておかなければならない。

 たくさんの「やるべき仕事」にとりかかる前に,

 「やらなくてもすんだこと」に振り回されるのは,いかにも時間の無駄である。

 しかし,時間の無駄にはなっても,これからの政治のあり方を

 考えていくための材料にはなる。

 「グローバル社会への適切な対応」は,教育界ではなく,まずは

 政府の人たちに求められることである。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より