ウェブページ

最近のトラックバック

本の検索・注文


  • サーチする:
    Amazon.co.jp のロゴ

« 国を滅ぼすための教育プログラムを考えてみる | トップページ | 教育現場からの「一発退場」 »

現場の問題に直面せずにいられる人たち

 指導主事とは,教員を指導できる能力が認められた教員が,籍をある自治体の学校におきながら,

 役所で仕事をするようになる人間である。

 現場の教師からすると,「現場にいないのに何がわかる」という目で見られる傾向がある。

 公立学校というところは,基本的に常に何かしらの問題を抱えて対処し続けているところだから,

 そこで教員をしていた指導主事は,そういう問題の解決で一定の成果をあげていないと勤まらない。

 「生徒がだらしない」と嘆いているような学校には,

 「教師がだらしないからだ。たとえばたった1日訪問するだけで,A,B,C,D,Eという問題が発見できる。

 特にAは致命的で,改善には時間がかかる。BやCは大きな問題ではないという認識があろうが,

 生徒に要求していることは自分たちも実現していなければならない。

 DやEは明日からでも直せる。」

 という指導が行えないといけない。

 本来,指導主事よりも経験があり,現場に実際にたっている副校長や校長の方が,

 そんなことはわかるはずだ,と思う人も多いだろうが,

 その問題はここではスルーさせていただく。

 一言だけ,人からうらまれることは言えないというのが日本の管理職の最大の欠点である。

 指導主事が「現場にいないのに信頼できる」と思ってもらえるには,

 即効的な指導を行い,実際に成果が上がることが求められる。

 教育学者のように,抽象的な話でごまかすことはできない。

 常に,現場で起こっている問題には頭を悩ませている。

 自分が直接,代わってあげることはできない。

 やる気のある人には,本当にストレスがたまる仕事である。

 しかし,「悩んでいるふり」をすればすませられる仕事でもある。

 このことが「悩ましい立場」にある理由でもある。

 優れた管理職というのは,自分よりも経験が浅い指導主事にもきちんと相談をもちかけてくれる。

 力量を図っているといういじわるな見立てもできるが,ちょっとだけ違う視点,

 あるいは,似たような事例の他の学校での解決法など,

 その立場だからこそ知っている情報に期待をしてくれる。

 同じような態度が,教員にも求められるのだ。

 現場にいて,問題に直面しながらも実は直面していない,

 そういう教師たちを見抜く目を養っておきたい。

にほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へにほんブログ村 教育ブログ 教師教育・教員養成へにほんブログ村 教育ブログ 社会科教育へ

« 国を滅ぼすための教育プログラムを考えてみる | トップページ | 教育現場からの「一発退場」 »

教育」カテゴリの記事

教育改革」カテゴリの記事

教職教育」カテゴリの記事

仕事術」カテゴリの記事

教師の逆コンピテンシー」カテゴリの記事

教育実習」カテゴリの記事

教員の評価」カテゴリの記事

教員研修」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 現場の問題に直面せずにいられる人たち:

« 国を滅ぼすための教育プログラムを考えてみる | トップページ | 教育現場からの「一発退場」 »

2020年3月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        
無料ブログはココログ

宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より