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国を滅ぼすための教育プログラムを考えてみる

 これは架空の話です。

 A国のある人物が,B国の教育プログラムを考案する責任者に任命されたとします。

 きっかけは,B国の指導者たちが,自国の将来に非常に悲観的で,

 何かの突破口を開きたいと考えていたところに,

 ある調査の結果をとてもよく伸ばしたA国があり,その国のように

 教育をすれば,自分の国が救われると思ったことがきっかけです。

 表向きは,B国の未来のため,という目的で依頼を受けますが,

 A国はB国がこの地球上からなくなればよいと考えており,

 裏の目的として,教育でB国を自滅に導くようにする,という最低の対外戦略が隠されているとします。

 もちろん,A国にそのような意図があることをB国の人間に悟られてはなりません。

 では,A国としてB国に薦める教育プログラムとは,どのようなものでしょうか。

 ・・・・こんなことを考えたことがある人はどこにもいないと思います。

 自国の未来の教育プログラムを,外国人に依頼するとは・・・・

 いや,実は,そういう例はあるようです。

 しかし,もちろんですが,「滅ぼすための教育」ではありません。

 どうしたら,教育によって国を滅ぼすことができるのでしょう。

 学力低下が話題になっていたときは,

 真剣に「これでは国が滅びる」と考えている人がいました。

 何とか亡国論なんて本も出ていますね。

 別の理由で,「滅びる」ことを心配している人もいます。

 「道徳」の教科化を推進しようとしている人たちです。

 単純に考えて,日本の未来は,少数の若者が多数の高齢者たちを支える社会になります。

 高齢者を敬う心がなければ,そんな社会は実現しません。

 選挙ではそういうことを訴える人が当選します。

 なぜなら,強力な「支持基盤」がいるからです。人口の多数を占める高齢者です。

 しかし,歴史的に見て非常に損な気がする超高率の税に苦しめられるのが若者です。

 自分たちの生活を犠牲にして,過去にしていた借金を返済させられ,

 仕事をリタイアした人たちの暮らしを支える生活。

 そんな未来を,しっかりと受け止めることができる日本人をつくることが教育の使命だ,

 と考える人がいても不思議ではありません。

 たとえばB国が日本なら,順調に滅亡に導くような教育は,

 どのようなプログラムが理想的でしょうか。

 こういう研究をしている大学の先生はいませんか。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
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  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
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    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より