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どの県の,どんな学力向上策を実施すれば,いいですか,という質問を否定する

 すでに,「特別な学力向上策はいらない」ことは明らかになったのではなかったか。

 小学校2年生なのに,やけに宿題が多い(採点までさせられる)ことが気になっている

 今日この頃である。学校に残してもらってかまわないから,丸投げはやめて,自分たちでやれって。

 もっと働いてほしい。22時まで働いている親に,18時には帰宅してしまう教師の

 手伝いをさせるなって。

 ・・・・ただの愚痴である。

 学力向上策なんて,簡単である。

 教師が汗水垂らせばよいのだ。

 朝は勤務時間の1時間前に来て,すでに登校している子どもたちと一緒に校庭を走る。

 夜は21時まで学校に残って,授業の計画を練る。

 そういう教師は,たくさんいるはずである。

 当たり前だが,だれかに命令されているわけではない。

 むしろ,「そんなに働くな」と注意されなければならない。

 自分が好きでやっているのだ。

 そういうことが好きだから,教師になったのだ。

 1日,16時間働け,なんて校長や教育委員会が命令できるわけがない。

 そんな「学力向上策」など世の中には存在できないようになっている。

 しかし,本気で学力を向上させたいと思っている教師は,寝るとき以外はそのことだけを考えているのである。

 ・・・・・なんてことを,堂々と言えた時代が懐かしい。

 今は,本音すら明かせない息苦しい世の中になってしまった。

 それこそが「学力低下」の原因だと言いたくなる。

 行政ができることなんて,たかが知れている。

 それは,「教員の勤務時間が決まっている」からである。

 学力向上を支えているのは,

 「こんなのはブラック企業以下だ!」という冗談を笑顔で言える教師たちである。

 教育委員会のように公の立場の人間は,そんなことは言えない。

 しかし,「願う」ことくらいは許されるだろう。

 本当に荒れていた学校が,地域の信頼を回復した理由は簡単な話であった。

 夜中近くまで,毎日,職員室の電気がついている。

 あの先生が来るまでは,そんなことはほとんどなかった。

 学力がつく前に,向上するものがある。

 そう。

 情けない話かも知れないが,

 「学力向上以前」のレベルの学校が少なくない現実を,知らせなければならない。

 それは,生徒ではなく,教師のレベルかもしれないことを付け加えておく。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
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  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
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  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
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  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
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