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日本の教科書を考える

 コメントありがとうございます。

 こちらで,「日本の教科書」について,検討すべきことは何かを明らかにしていきたいと思います。

 議論になるかどうかはわかりませんが,とりあえず,最初の話題です。

*************************

こんにちは。

議論してみたくておじゃまいたしました。

日本の教育の地域の格差をなくするためには教科書の充実が大事ではないかと
思っております。
首都圏などでは塾とかいろいろとあるのに地方ではあるいは塾に通うことができない生徒にとっては教科書が頼りとなるからです。
私立の学校では副教材としてあれこれ使っておりますし、中高一貫校では別の教科書を使うことができるようです。
日本の教科書をいかがお考えでしょうか。

*************************

 まず,「教科書の内容をもっと充実させてほしい」という要望自体が,一般的にあるかどうかですが,

 小中学校に関する限り,私自身はそういう要望を直接耳にしたことはありません。

 中学校の教師たちの中に,小学校の教科書のレベルをもっと上げてほしい,と願っている人たちがいるのは肌で感じることができますが。

 教科書に示す内容は,基本的には

 「学習指導要領」で示されているものです。

 「学習指導要領」で示された目標を踏まえ,そこで扱うとされている「内容」を

 教科書会社なりに考え,編集して,文部科学省の教科書調査官などがチェックして,

 世の中に出ているのが「検定済 教科書」です。

 教科書は検定に通っただけではだめで,現場に「採択」される必要があります。

 この「採択」は,必ずしも「よい教科書」「内容が充実している教科書」が選ばれるとは

 限りません。

 「多くの学校ですでに採用されてきたから」とか,

 「入試で役に立つから」などという理由で選びたくなってしまうこともあります。

 「内容が多く,とてもいい教科書だ」と一部の教師が感動しても,

 「この内容をすべて習得させるのは無理だ」「扱いきれない」などという意見で

 「不採択」「不採用」になってしまうのです。

 こういう話からよくわかる日本の教育の問題点は,

 教科書の内容というよりは,むしろ教師の側の安易さにあるというのが私の第一の感想です。

 優秀な教師ほど,教科書は使わずに,一般の教師が教科書を使った以上の効果をあげることもできます。

 「教科書を教える」のではなく,

 「教科書で教える」教師になれ,というのは教師の世界では格言のようなものです。

 教科書の枠をはみ出して,どんどん自分から情報を求めていくような

 子どもを育てたいと思っているのが日本の多くの教師です。

 必ずしも「教科書でこれだけの学力を保障してほしい」という主張は,生産的ではないかもしれません。

 ・・・・これでは議論になりませんかね・・・・。

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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
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  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
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  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
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  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
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  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
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  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
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  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
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