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ネットは丸裸メディア~リアル以上に素がにじみ出る世界

 8月6日に公開されていた,日経の『ネットメディアで自分をごまかす人』(藤田晋氏の経営者ブログ)では,耳が痛くなる指摘がたくさんつまっていました。

 ある人は匿名のブログなのに自分の姿を公開してしまっていましたが,

 基本的には本人の姿は見えないのが普通です。

 しかし,そこに油断が生じているというのが藤田氏の言葉です。

>自分が思っている以上に「ネットは丸裸メディア」なのですが、そこに気づいていない人は多いように思います。

>ネットメディアで自分をよく見せようとしたり、取り繕って別人格を出そうとしたりしても、100%うまくいきません。バレます。頭の中身のレベルまで全部、見透かされている、と思った方がいい。

>性格が悪い人はどこか悪さがにじみでてしまうし、いい人は良さが出てくるし、賢い人は知性が出るし、逆に賢く見せようとしてもその魂胆が分かってしまう。何か戦略的にうまく伝えてやろうと考えても、基本的にはバレてしまいますし、意味がない。諦めた方がいいです。

>リアルの場では、対面している一人、あるいは、少人数の目をごまかしきればいいのですが、ネットではそうはいきません。様々な背景を持ったいろんな立場の人が見ています。自分の能力をはるかに超える人も大勢見ています。自分より、何十倍も上手な人の前に立ったと思った方がいいでしょう。

 企業であれば,自分たちの力をみせつけたい気持ちはわかります。

 ただ,TVのコマーシャルを見ればわかるとおり,

 「いい商品だなあ」と感じてもらうことと,買ってもらうことはイコールではない。

 本当に信用し,自分のものにしたいと思い,購入するまでには,かなりのハードルがあるのです。

 「~さんが使っている」という情報だけで,手に入れようとする人もいるから,

 あえて「商品の機能」にはふれず,企業イメージを向上させようとするコマーシャルもある。

 企業の側で,「消費者」になりすまして「評判」をつくりあげるという行動まででてくる。

 ここ教育分野の村になると,本当にたいした差はないのに,

 当たり前のことが当たり前にできない世界だけに,

 目の前の成功や輝いている子どもに目がくらんだような言葉があふれています。

 大切なのは,

 なぜ当たり前のことが当たり前にできないのかを明らかにすることです。

 「~で~が劇的に変わった!」

 などという宣伝文句におどらされてしまう人たちは,

 まず足もとをしっかり見つめることが大事なのです。

 「昔はよかった」という話も何の意味もない情報ですが,

 そのよさを何が支えていたのか,

 何が失われたために,今が問題なのか,

 代わりの支えはないのか,などを提案できればよいのでしょう。

 まずは,「自分をよく見せよう」なんていう意図がにじみ出てしまうような行動はやめるべきでしょう。

 自分で自分をほめるような「なりすましコメント」なんかを書くのはやめることです。

 ネットは丸裸メディアという指摘は,常に自分自身に向けてのものだという意識を忘れないようにしたいものです。 


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より