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議論をすべき相手がいない

 文部科学大臣と,静岡県知事の主張のどちらが正しいか。

 「知る権利」を保障してくれるのはどこか。

 議論すべきことはたくさんあるが,お互いに,議論をすべき実体が存在しない。

 議論は大事だなどと言いながら,

 議論すべき相手を「頭がどうかしている人」などと決めつけていては,

 何も始まらないのである。

 そもそも,事例で出している内容が,

 今回の学力調査の結果の扱いのようなものではなく,

 議論の余地のないというか全く議論する価値のない事例だから,

 議論しようとする気が全くないのに,「議論が大事」などと主張しているものであることがわかる。

 教育の世界では,こういう事例が山のようにある。

 何か学校で新しい研究を立ち上げようとするとき,
 
 「ただでさえ忙しいのに」と研究内容を聞く前から反対するような人間・・・・

 「反対ありき」の集団が長い間,学校を本当につまらないものにしてきた。

 公立学校が背負っているものは,決して軽くはない。

 しかし,そもそも,そういうことがわかっていて,堂々と職に就いた人間で構成される場所であることを信じたい。

 学校では,もっともっと,「いい方向へ変える」ための議論を増やしてほしい。

 「議論のための議論」が好きな連中がいるのも学校の特色だが,

 そんな議論をしている暇をなくすような,「前向きな議論」の題材を管理職は提供すべきである。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より