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「ノリ」よりも「間」の大切さを教えてあげよう

 人はだまっているとき,必死に頭をはたらかせている。

 そういう感覚が乏しいように思えるのが

 小学校の授業と

 テレビ番組

 です。

 皮肉なことに,ある有名な小学校の教師は,テレビのクイズ番組の問題をつくって提供していました。

 茂木健一郎が『未来を変える議論をしよう』(ポプラ社)で書いていることですが,

 テレビというのは,

 ある人が質問を投げかけたのに対し,

 出演者がだまってしまうような場面はみんなカットしてしまうといいます。

 ノリやテンポを大事にするからです。

 ですから,テレビを見ていると,

 10秒ぐらい,うーん,と考えているような場面は絶対に出てきません。

 「放送事故」扱いになってしまいます。

 たった10秒ですよ。

 しかし,10秒なんて,「人がだまるにしては,異常な長さだ」と感じてしまうのは,

 テレビ番組を見ている人と,小学校の授業を見ている人ではないですか。

 ノリばかりが重視され,「間」が重視されない社会では,

 「思考力」なんて育ちません。

 人は,話をしているときの方が,話すことに脳が支配されてしまい,ほかのことをしないと言います。

 じっと考えるような時間,

 それ(「間」)を楽しむ文化が,相撲や野球をはじめ,スポーツ観戦の場でもあったはずです。

 小学生にも,もっとだまらせる時間を増やしてあげたいものです。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より