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« 教科の学習を好きにさせるのが教師の役割,嫌いにさせる教師が果たすべき責任 | トップページ | ミッドウェー海戦と市和歌山高校の敗戦の共通点 »

シリーズ「課題追究型道徳」(その3) 先生方は仕事を誠実に実行して,その結果に責任を持っていますか?

 公務員である先生方は,憲法を遵守する義務があり,全体の奉仕者として,

 人権を尊重され,常に職務に専念していらっしゃることと存じます。

 私たち中学生には,自ら考え,判断し,実行し,自己の行為の結果に責任をもつことが基本だといつもおっしゃっています。

 深く考えずに付和雷同したり,責任を他人に転嫁したりするのではなく,

 自らの規範意識を高め,自らを律することができなければならないと。

 しかし,私たち中学生には,疑問があります。

 私たち自身に関することと,先生方に関することです。

 私たちが,自ら考え,判断し,実行できることは,どのくらいあるでしょうか。

 やらなければならないことがいっぱいで,それをこなすのが精一杯であるのが現状です。

 先生方も,それは同じなのではないでしょうか。

 私たちの生活のあり方,そして学力は,先生方にとって,

 「満足のいく結果があり,十分に責任を果たしている」とは言えないような状況が続いていると思います。

 それでもあきらめずに,熱心なご指導を続けていただいています。

 しかし,先生方には,

 自分で考え,自分の意志で決定できるものとは,先生方の場合,どんな仕事のどのような内容を指すのでしょうか。

 あまり自主的に補習の時間を設けてくれる先生とか,

 日曜日にも勉強を教えてくれる先生はいません。

 部活動の引率はいつもやってくれるのに。

 やはり勉強をみることより,部活動で学校が勝つことの方が大事なのでしょうか。

 私たちが「責任ある行動」として求められていることと,

 先生方が求められていることは,あらかじめ決められていることが多いのではないですか。

 もっと中学生や,先生方が,自己の尊厳に気付き,何が正しく,何が誤りであるかを

 自ら判断できる場や機会が必要なのではないでしょうか。

 過ごしやすい学校生活,より学力を高めるための学校の授業のあり方,放課後の有意義な時間の使い方,

 これらのことについて,もっと私たち生徒の声を聞いて実現させてくれるような学校にできないものでしょうか。

 そういう点からすると,道徳の時間よりも,特別活動の時間をたくさん確保してくれることの方が,

 私たちの生活がより自律的なものになっていくと考えられるのですが,いかがでしょうか。

 文部科学省の役人の方の答ではなく,私は先生の心の声が聞きたいのです。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より