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グローバル人材と最近の教師の共通点

 グローバル人材に求められるコミュニケーション能力というと,

 「自分の考えを堂々と述べる」ことに主眼が置かれており,

 個人への評価も基本的には「その人がどういう発信ができたか」を規準して行われます。

 教育の場では,自分の立場をああだこうだ言うよりも,相手の立場を尊重することを重視する場合もある。

 しかし,「グローバル人材」の教科書を書いている人によれば,

>グローバル人材は人の心を読む習慣がない

 といいます。

 勝手に人の心を読んで,必要のない助言をする・・・・

 「おせっかいをやく」ことがない,そうです。

 この話を読んで,すぐに思い浮かんだのが,

>最近の教師は,お互いに教え合うことをしなくなった

 という現場からの愚痴です。

 それを個人の人事考課(業績評価)と結びつけて考える人がいるようですが,

 評価の項目に,「お互いに教え合うこと」をおいておけば,

 むしろどんどん広がっていくはずの習慣です。

 それでも,若い教師はベテラン教師に質問しなくなり,

 ベテラン教師は若い教師に助言をしなくなった・・・・。

 自分で困っていることは,自分で解決する・・・・

 これは,グローバル人材としては当然のように求められる資質であり,

 勝手に教えようとしないというのも同様。

 つまり,学校現場の職場はグローバル企業と同じ状態になっているわけです。

 一方,異なっている面も当然あります。

 グローバル企業では,上司の言葉を鵜呑みにせず,疑ってかかる,

 という態度が求められているそうです。

 積極的に上司に意見を言えと。

 学校現場の場合,もしそういう若い教師がいたら,どうなるのでしょう。

 こういう若い教師を受け止める度量のある管理職はどのくらいいるでしょうか。

 学校の管理職には,教育委員会がバックにあり,そのバックには文部科学省がある。

 単体で存亡の危機と闘っているグローバル企業とは

 全く異なった背景があるのは当然ですが,

 つぶれる心配がないのであれば,どんどん言いたいことを言う,というのも

 可能な職場であるはずなんですけどね。

 もちろん,すぐに異動させられる,というリスクも背負うことになりますが。

 情報を鵜呑みにしない,

 という態度が求められるのは,実は

 教育委員会であり,

 文部科学省なのですが,

 「この情報,本当は間違っているんじゃないか」という態度がとれないという

 弱点も行政は持っています。

 「履修したことにしているようだ」なんて言葉は,公式には絶対にできない。

 論文における不正行為のように,

 正しい情報を発信しているかどうかをチェックする機能を果たすべきなのが,

 教育委員会なのですが・・・・。

 「勝ち抜く」とか「生き残る」とかいう行動原理のない組織を改革するのは,

 本当に難しいことかもしれません。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
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  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より