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自分の利益を優先させる人が増えることの意味

 過去に滅び去った国々では,滅びる前に,

 「自分の利益ばかり考えている人間が増えた」ことへの危機感を訴えた人がいたといいます。

 滅んだ後も,「確かにそういう人間によって,国は滅ぼされたのかもしれない」という実感をもっていたようです。

 国の危機が間近にせまったとき,

 「自分の利益を優先させる人」が非難され,たとえば

 とめどもない増税が続いたり,徴兵制が復活したりという問題が生まれそうだと危惧している人もいる。

 個人を優先するか,国家を優先するか,

 綱引きが始まったとき,多くの人は,「個人が勝つ」と思っているに違いありません。

 そのための「民主主義」が存在すると,安心しているのかもしれない。

 しかし,「多くの個人が負けた後」になって,改めて「個人か国家か」を問われたらどうか。

 そもそも,自分の利益を優先させるようになっていること自体が,

 「国家が終わり始めている」ことの証ではないか,と見ることもできます。

 現状で何とかしておきたいのは,

 公務員による自己利益優先主義に見える動きです。

 それが実際には国や国民の利益にかなっているのであれば,そうとわかるような説明がほしい。

 透明性が足りないと,どうしても「だれか特定の個人が得をしているのではないか」という疑心暗鬼が起こるのです。

 公的な立場の人間すらそうなのだから,自分は堂々と自分優先でやっていける,

 などという価値観が一般化するのがおそろしいことです。

 ユダヤ人にように,国が滅ぼされても,2000年にわたって伝統を守り抜き,

 ようやく新たな土地で国を再興できた人々もいます。

 日本がそういう生き残り方をすることができるかどうか。

 伝統や文化に目を向かせることが,

 自分の利益を優先させたがる一般的な人々の価値観をどう変えることができるか。

 「歴史を学ぶこと」「伝統や文化を知ること」が,自己利益優先の歯止めとなるかどうか。

 学校教育に課せられた責任はとても重いと言えます。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より