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「私たちの自治体では,教育学部出身の人は教員に採用しません」という日が来る?

 ゆとり世代の採用が始まり,教育現場に立つ人が増えているが,

 あちらこちらで聞くことが増えているのが,教師としての

 「教科の専門的教養」が不足しているという「小言」である。

 たとえば,中学校や高校で社会科,地歴科,公民科を指導しようとするとき,

 「私はアメリカ史が専門でした」「私は経済が専門でした」という人が,

 「日本の地理が教えにくい」「古代の政治史に関する話のネタがない」という悩みを抱えているようなことは

 昔からよく聞かれていた。

 しかし,そもそも「教育行政」とか「教育心理学」を専門に大学で学んだ人たちは,

 社会科の教科指導に役立つ専門的な学問の研究や調査をしたことがない・・・・・・・

 分かりやすい話,そういう内容の論文を書いたことがないわけである。

 たとえば社会科や地歴科,公民科の教員免許は,いろんな学部の人がとることができる。

 だから,ヨーロッパ中世史について,高校のときくらいの知識しかなくても,

 高校の教員にはなれてしまうのである。

 今,学校現場では,そもそもこういう「教科の専門的指導」に関して,

 特に秀でた人を採用しよう,という意図はあまり感じられない。

 そんな「専門家」より,入試対策が上手な「塾や予備校のように教える専門家」を求めている学校の方が多いかもしれない。

 したがって,タイトルのような状況が生まれることは,今後も永久に訪れないかもしれないが,

 先日,「うちの学校の先生は,子どもに間違った知識を教えている」という苦情を耳しているという大学の先生の話を聞いた。

 又聞きの話だが,たとえば私が授業参観した子どもの担任教師も,

 その近隣の学校で開いていた公開授業での教師も,

 指導主事時代に参観した高校や中学の教師も,

 かなり知識としては怪しげな状態のままで授業を行っていることがよくわかる場面に遭遇している。

 教員免許がだれでもとれるような状況であること自体が問題だという面もあろうが,

 「それでもまだ日本の教師は優秀だ」

 などと開き直っている人間がいることを考えると,

 本気で「学力向上」を目指している人はこの国にいるのか?と疑問に思ってしまう。

 学校は「学力工場」体制を維持する,という路線でいくなら,

 もっと「合理化」につとめるべきだろう・・・・人間の教育はやめる,というのなら。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より