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「禅」から学んでほしいこと~基礎・基本の「知識」を甘く見てはいけない

 「知識」というのは,「単なる暗記で身につくもの」,「書き換えが容易なもの」であるという

 固定観念をもっている人は多い。

 それは,そういうレベルの「知識」しか体得していないから,という面も表している。
 
 中学生というのは,とにかく「何世紀」という時代の表し方のイメージが苦手である。

 西暦1年から順番に考えていけば,1901年は20世紀だ,ということが分かるはずだが,

 急に8世紀の末と言われても,ピンとこない。
 
 それは,「8世紀の末にどういうことがあった」という知識に乏しいこともさることながら,

 そもそもそういう言い表し方を自分からする機会がないというのが一番「活用できない」理由だろう。

 「知識」とは,単純に「知っていること」を示す概念ではないこと,

 そして「技能」とは,「こうすればいいんだよ」「こうしてはいけないんだよ」と

 言葉で伝えればみんな身につくというものではないことを,まずはしっかりと実感していかなければならない。

 だから,

 教師の「学習指導の基本」は,

 自分がまず「そういう教え方ではできるようにはない」ということを実感するのが重要なのである。

 「左ピッチャーのカーブのファールの仕方」という技能を,

 野球経験のない人に言葉で教えようとしてみても,意味はないのだ。

 玄人的な,「ここはこうするのがうまくいくコツだ」なんていうのをすぐに教えたがる人,

 知りたがる人がいるが,これではいつになっても「指導力」は身につかないばかりか,

 子どもが知識や技能を習得するのも困難になってしまうだろう。

 今,改めて鈴木大拙著『禅と日本文化』を読み返しているが,

 「禅」の基本は,教育の基本と通じる点がある。

 しかし,「禅」の基本とは全く逆のことが平気で行われているのが教育現場である。

 たとえば,教育を見る視点について,あまりにも「教師の技」に偏りすぎているのが小学校の教師の問題である。

 雑誌や本の類をタイトルから見るだけで,そんな傾向はすぐ分かる。

 自分の技よりも,まずは小学生に基礎・基本となる「知識」や「技能」を身に付けさせてあげてほしい。

 5年生の社会科の授業で,地図帳を活用できるようになる小学生が少ないことが,中学校で借金生活から始まる大きな原因の一つである。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より