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経験値を生かそうとする指導が陥りやすい「学力工場」学級

 教員はある程度の経験を積むと,その経験が生かせるような方向にもっていこうとする傾向が出てきます。

 このうち,あくまでも教師自身が「自分の経験が発揮できる」局面づくりをしてしまって,

 子どもの成長を阻害するようなものは,あまりいただけません。

 教師にとって都合のよい環境づくりと,

 「子どもにとって最良の学習環境づくり」は,別の話として考えるべきです。

 経験のない教師は,そういう局面づくりが得意な教師をまねしようとして,

 本や雑誌を買ったり,研究会に出て「技を盗もう」としますが,

 それで「うまくいった」という自覚がある人は少数派でしょう。

 いくらかの自己流のアレンジがあったり,

 本来は最も大切な,子どもの現状を見ながら対応を変えたりできるのが,

 大事な「指導力」なのです。

 忘れてはならないのは冒頭の5行分の話で,

 教師がとても調子よく学級をコントロールしている様子を見かけることがあります。

 子どもたちが,教師がつくったルーティーンを黙々とこなす,工場のような光景を見たことはないでしょうか。

 百マス計算から入って,・・・・して,・・・・して,時間が来たから,・・・・に変えて・・・・

 子どもが規則正しい動きをする。

 時代錯誤以外のなにものでもないのに・・・。

 こういうのを向上させるべき「学力」だと誤解した人たちが,

 どれだけ真似をしてきたか。

 「学力工場」では,人間は育たないんですよ。

 教師という現場監督は,とても生き生きしている。

 生活指導の面でも,「工場の現場監督」らしさを発揮する人がいる。

 「問題が起こらないこと」を自慢している。

 「問題は起こらないこと」はもちろん悪いことではありませんが,

 学校で大切なのは,「問題を解決できる人に育てる」ことですからね。

 中学校では,いつ,どんなタイミングで,どのようなタイプの問題が発生するか,

 学校によって多少は違ってくるかもしれませんが,

 背景が似ていれば,当然起こってくる結果も似てくるので,予想できるようになります。

 指導力のある教師というのは,事前に問題が発生することを防止しないという選択肢をとることがある。

 もちろん,いじめ等の人権侵害は防止する義務があります。

 しかし,リーダーシップを育む中で,通過してほしい「つらい経験」はいくつもある。

 子どもの成長にとってよりよい局面を教師が作り出していくことが求められているのです。

 教育で大切なのは,自分ではなく,子どもの「経験値」を高めていくことです。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より