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来年2月の東京都立高校入試の一部にマークシート方式導入へ

 最新ニュースです。

 本日,午後5時から午後7時まで検討のための会議が開かれていて,

 午後10時に報道発表,というスピード感には,私も驚きを隠せません。

 予算化の目処もたったということでしょう。

 次に知りたい情報は,導入する高校はどこか,という点です。

 導入した高校で成功すれば,再来年の入試では全校でマークシート方式にするとか。

 さて,慌てているのは,

 「そっくり模試」などを実施している業者でしょうかね。

 問題がそっくりでも,解答の記入方法が違ってしまっていては,

 入試の練習にはなりません。

 こちらも対応力の勝負ということになるでしょう。

 中学校側からすると,

 マークシートに慣れていない中学生に,慣れさせるための訓練が必要になるかもしれません。

 せっかく正しい選択肢が選べていたのに,塗り方が悪かったために0点,などというケースも出てくるでしょう。

 最悪なのは,受検番号のマークミスです。

 さすがにここには人間の目でチェックを入れないといけないかもしれません。

 また,マークシートを読み込む機械のトラブルなどあってはいけませんから,

 高校の先生はデータ読み込みのシミュレーションもこなさないといけない。

 すべてがマークシートというわけではないので,

 結局,「二度手間になる」という部分もあるでしょう。

 手で採点した分と,マークシートで採点した分の合計を間違えたら,また大変。

 機械のトラブルって,

 センター試験のリスニングのときにもよく起こっているように,

 採点のときに「読み取り機がこわれた」なんてことになると,また大変。

 これから,起こりうる様々なトラブルを見越して,

 分厚い「災害シミュレーション」みたいな資料ができあがることでしょう。

 センター試験のを真似することになるでしょうから,

 きっと,読むのが非常に大変になることでしょうね・・・・。


 ところで,こういう動きが出た一番の理由は,高校の先生による

 「採点間違い」問題でした。

 採点の間違いをなくす一番よい方法は,

 最低でも1日か2日は,授業をなし(高校生は自宅学習)にして,

 入試業務に全員が集中できるようにすることだと思うのですが・・・・

 もう,決定したことのようなので・・・・。

 他の県は,来年2月に東京都が実施して,その経緯を聞き取ってから,

 やり方を決めよう,とするのでしょうか。一部の県ではそういう動きが見られるかもしれませんが,

 ・・・・実は,マークシートへの導入がしやすい選択肢ばかりの入試問題をつくっているのは

 東京都だけだったりして・・・。

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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
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  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
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  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
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  • 都邑が矩形であるのは、この大地が巨大な矩形であると想像するところからきている。したがってかぎりない天地と形容するのは正確さに欠ける。大地にはかぎりがある。ただし大地は四方を高い壁でかこまれているわけではない。とにかく独創とか創見というものは、思考が狭い矩形をもたぬということではないか。人はいつのまにか思考を防衛的にしてきた。他者を拒絶しがちである。思考の四方に感情という壁を立てて、他者と共有してきた天を極端にせばめてしまった。
    「子産(下)」より
  • 人というものは、恩は忘れるが、怨みは忘れぬ。
    「孟嘗君 5」より
  • 人はたれにもあやまちがあります。あやまちを犯しても改めれば、これほど善いことはありません。『詩』に、初めはたれでも善いが、終わりを善くする者は鮮(すくな)い、とあるように、あやまちをおぎなう者はすくないのです。
    「沙中の回廊(下)」より
  • 「わたしは侈っている者を烈しく憎まない。なぜなら侈っている者はおのずと滅ぶ。が、なまけている者はどうか。わたしはなまけている者をもっとも憎む」
    「沙中の回廊(下)」より
  • 人を得ようとしたければ、まずその人のために勤めねばならぬ。すなわち、晋が諸侯を従えたいのであれば、諸侯のために骨折りをしなければならない。
    「子産(上)」より
  • 知るということは、活かすということをして、はじめて知るといえる。
    「青雲はるかに(上)」より
  • 師はつねに偉く、弟子はつねに劣っているものでもない。弟子の美点に敬意をいだける師こそ、真に師とよんでさしつかえない人なのではないか。
    「孟嘗君 2」より
  • 人を家にたとえると、目は窓にあたる。窓は外光や外気を室内にとりいれるが、室内の明暗をもうつす。そのように目は心の清濁や明暗をうつす。
    「孟嘗君 2」より
  • 人にものごとを問うということは、質問そのものに、問うた者の叡知があらわれるものである。
    「孟嘗君 3」より
  • 人から嫌われることを、避けようとする者は、心の修養ができていないことである。
    「中国古典の言行録」より
  • 人を利用すれば、かならず人に利用される。・・・企てというのは、人に頼ろうとする気が生じたとき、すでに失敗しているといってよい。
    「太公望 中」より
  • 与えられてばかりで、与えることをしないことを、むさぼると申します。むさぼった者は、なべて終わりがよくない
    「孟夏の太陽」より
  • ・・・料理をつくりながら、人と組織とをみきわめたのか。素材が人であれば、素材を合わせてつくった料理が組織である。それ自体はにがく、からいものでも、他の素材と合わされば、うまさを引きだすことができる。煮るとか蒸すとかいうことが、政治なのかもしれない。
    「太公望 中」より
  • 他人を変革するためには、まず自己を改革しなければならね。
    「太公望 中」より
  • 人が何かを得るには、二通りあります。与えられるか、自分で取るかです。(中略)与えられることになれた者は、その物の価値がわからず、真の保有を知りませんから、けっきょく豊さに達しないのです。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • みじかいなわしかついていないつるべでは、深い井戸の水を汲むことはできない。
    「奇貨居くべし 黄河編」より
  • 人は目にみえるものを信じるが、そのことにはかぎりがあり、けっきょく、人が本当に信じるものは、目にみえぬものだ
    「晏子」第二巻より
  • 人にはそれぞれこだわりがあり、そのこだわりを捨てて、変化してゆく現実や環境に順応してゆくことの、何とむずかしいことか。
    「奇貨居くべし 飛翔篇」より
  • 失敗を心中でひきずりつづけると、起死回生の機をとらえそこなう。それは戦場における教訓にすぎないともいえるが、大きな勝利とは、相手の失敗につけこむのではなく、自分の失敗を活かすところにある。楽毅の信念はそうである。
    「楽毅」第四巻より
  • 人の頭脳のなかの眼力は、木の幹にあたるであろうが、幹をささえるものは知識という葉ではない。根である。根は地上の者ではどうすることもできない伸びかたをする。その根は天から落ちてくる水を吸い、人からあたえられる水も吸って太ってゆく。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • 大木にするためには、幹の生長に目をうばわれがちであるが、地中の根を大きく張らせることを忘れてはならない。花を咲かせることをいそぐと、花のあとの結実をおろそかにしてしまう。要するに、大木でなければ豊かな実をつけないということである。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • あらゆる事態を想定して準備を怠らず、変化に対応できるようなトップでいなければならない。
    「中国古典の言行録」より