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教科の学習を好きにさせるのが教師の役割,嫌いにさせる教師が果たすべき責任

 教師の果たすべき役割を自覚している人に,教師になってほしい。

 教科の指導が苦手な人は,その教科の指導方法を研究するべきである。

 しかし,小学校の研究会に参加してみると,

 指導が好きな教科,指導が得意な教科の分科会に参加している教師が多いことがわかる。

 気持ちは分からないでもないが,本来は逆であるべきだろう。

 中学校の教師を長くやっていると,ときどき特定の教科に対する忌避感が強い生徒を見かけることがある。

 わかりやすいのは,特定の教科の成績だけ悪い場合だが,

 そうではなく,すべての教科の成績が振るわない生徒の中に,

 特定の教科への忌避感が原因となって,他のすべての学習に身が入らない,という傾向を見ることもある。

 原因は,言うまでもなく小学校時代の「トラウマ」である。

 たった一つだけ,すぐにでもできる小学校での対処法がある。

 一度だけでもいいから,違う担任の先生の,最も指導を得意とする教科の授業を受けさせてあげてほしい。

 子どもは,先生が好きになるというより,

 その教科の学習に思いもよらないおもしろさを感じてくれる可能性が高くなる。

 どの学年でも変わりはないと思うが,

 授業というのは,生き生きしている人から学ぶのが一番効果的である。

 本当に残酷な話だが,自分が最も苦手とする教科の普段の授業の様子をビデオに撮ってもらって,

 それを人気の高い予備校講師の授業の様子を比較してみるといい。

 動画サイトにいくらでもある。

 どっちの人の授業を受けたいか,そんな質問を子どもにするまでもない。

 選択肢のない子どもたちが望むべきことは一つしかない。

 担任の先生に頑張ってもらうしかないのである。

 さもなくば,上に挙げたように,一度,本当に楽しい授業の体験をさせてあげてほしい。

 もしそういう体験をさせるとなったら,

 実は一人の先生に,すべての教科が該当する,なんてこともあり得るかもしれないのだが・・・・。

 一つだけやってはいけないことがある。

 「授業が上手」という定評をもっていても,

 子どもを「調教」しているタイプの教師の授業だけは,

 ふれさせてはいけない,ということである。

 動物園のような光景を小学校で見るのは本当におぞましい限りだ。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より