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「基礎・基本」の奥深さを追究できる教師に!

 「基礎・基本」というと,問題集でいう「基本問題」「応用問題」の「基本」のように,

 「易しい」「だれでもできる」ようなイメージを持っている人が多いかもしれないが,

 そう単純な話ではない。

 学習指導でも,部活動の指導でも,

 多くの場合は「専門家」が教える。

 ただ,「プロ並みに専門性が高い」ことを「教える条件」にしてしまうと,

 そもそも小学校の教師は何も教えられなくなってしまうおそれがある。

 そして,ここが「教育」の面白いところなのだが,

 「自分の専門性が高い」ことと,「指導力がある」こととは,必ずしも一致しないということである。

 ある競技を専門的に行ってきた体育の教師が,

 別の競技の指導が全然できない,というのはもちろん困る。

 しかし,別の競技の指導の方が,うまくいく,という面白い現象が起こることがある。

 それこそが「教育」の力である。

 「専門家」というのは,「その道を自分が突き進む」のは一流なのかもしれないが,

 「その道に他人を導く」というのは,別の能力なり,動機なり,使命感なりが大切なのである。

 むしろ,自分も苦手だった分野の方が,

 どこでつまずきやすいか,どこが面白いところか,自分自身で気付けるポイントはどこか,

 などが見えやすくなる。

 子どもたちの,「何がどこまでできるようになったか」が見えるようになる。

 自分が専門的にやってきたことだと,

 「何がどうしてできないか」の方ばかりに目がいってしまい,

 指導内容も

 「ここがこうだめだから,できないのだ,ここはこうしろ,それが基礎・基本だ」

 などとやってしまう。これが「強制の教育」である。

 しかし,「できない理由」を指摘してみたところで,簡単にできるようにならないことは,

 本当は自分がよくわかっているはずである。

 教師としてふさわしい人は,そういう強制することが自分の仕事だ,なんていう意識をもたずに,

 子どもが基礎・基本を固めていく過程に目がいく。

 今日は,ここまでできるようになった。次は,ここができるようになろう。

 学習の過程に意味を見出し,励まし,先の見通しをもたせるようにする。

 それが「指導」である。

 「あなたはここができない」という言葉は,「指導」ではなく,ただの「説明」である。

 「私はここができない」という理解をさせ,

 「こういうことができるようになりたい」と意欲をもたせ,

 「こういうことをしたい」と言わせるのが「指導」である。

 「基礎・基本」はすべて言葉で説明できる,なんていうレベルの教員に,「指導」はできない。

 大げさな話,理想を高く掲げれば,高校くらいまでにやっている勉強など,すべてが「基礎・基本」である。

 教師がただひたすらしゃべっている授業を受ければ,「基礎・基本」は身につくのか?

 大間違いである。

 大事なのは,「ここだけ,これができるようになればよい」なんていう発想を教師が超えることである。

 ましてや,「強制が基礎・基本の基本だ」なんていう教師になってはならない。

 専門家に,「いまのような力の基礎・基本はどのように培われたのですか」と聞いて,

 「すべて,強制されたおかげです」なんて答える人に教わりたいと思うか?

 「形成的評価」の機能について答えさせると,教師の資質・能力はある程度わかる。

 基礎的・基本的な知識や技能の習得の過程に,

 どれだけ思考・判断・表現の場面を設けたか,どれだけ

 自ら課題を設定し,追究する意欲を高められたか,

 そこが教師の指導力を評価するポイントである。

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コメント

教育の失敗が,ごくごく単純な「基礎・基本」のとらえ方の誤りで繰り返されていることに,もっと敏感でないといけません。

以前にもふれましたが,教育は失敗していた方が,操りやすい国民が増えて自分の理想の実現に近づくと考えている人間たちに,何とか抵抗していきたいものです。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より