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学校で扱いにくい「防災教育」

 土砂災害に関する報道では,それが起こるメカニズムが小学生くらいでもよくわかるように解説されるようになっている。

 「真砂土」という専門用語も広く知られることになった。

 やわらかい真砂土は宅地造成がしやすい反面,今回のような土砂災害も起こしやすい。

 こういう知識は,その土地で暮らしているような人たちには,欠かせない情報だろう。

 過去にも災害は起こっているし,1999年には土木学会が危険性を訴えていた。


 小学校や中学校では,「防災教育」に力を入れるところが増えてきている。

 そういう教育をするために教師が本気で研修を積んでいれば,東日本大震災のときに失われずにすんだ命がたくさんあったかと思うと,法律で定められた「研修」の大切さが改めて身にしみてくる。

 自治体ごとに「ハザードマップ」もかなりしっかりしたものがつくられていて,

 役所や公的機関にいくとすぐに手に入る。

 問題は,危険な地域の認識と同時に,そこに住んでいる人への偏見が生まれる可能性があることである。

 小学生でも,報道によって,

 「こういう危険な場所には住みたくない」という気持ちを抱くようになる。

 「どうしてこんなに危険な場所に住んでいるのか」という疑問を抱くようになる。

 「どうして崖の下とか,裏山があるところに家を建ててよいのか」と疑問に感じる子どももいる。

 ニュースでは,

 あからさまな危険地域の指定は,地価が下がる原因になるのであまり進められていない,

 などと報道される。

 「防災教育」とは,現状で生活するとして,どれだけ災害が防げるか(防災),

 被害を最小限にとどめることができるか(減災)をテーマにするものであり,

 「危険な場所からの移転」などは扱わないのが普通である。

 しかし,中学生くらいになると,

 それだけの金額のお金を堤防に費やすなら,低い土地をすべて買い取って,

 高台に家賃のいらないマンションを建設することができる,

 という「提案」を思いつく子どももでてくるようになる。

 実際に,危険な場所に暮らしている子どもの立場を教師は考えてしまうから,

 結果としては,「早く逃げる」「1階では寝ない」などのありきたりな結論で終わってしまったりする。

 本当に正解のない問題であるが,

 本来,社会科とはこのような社会の課題の解決を考えていける子どもを育成するための教科である。

 グローバル人材の育成のためにも,

 「災害大国」である日本に外国人を招こうとする場合,相当の知識と,覚悟とをもち,災害への正しく迅速な対応を誇れるような子どもたちを増やしていかなければならない。

 改めて,学校教育の背負っている責任の重さを痛感させられる。

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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
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  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
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    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
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