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評価は何のためにあるのか?

 本日,研修でお話する予定の内容の一つが,

 「評価は何のためにあるのか?」です。

 評価は,生徒の「良さ」を見出して,それを本人に伝えるためにあります。

 授業では,学習指導要領に示された目標が,どのようなかたちで,どの程度,達成できているのかを,

 生徒自身に気付いてもらう活動が「評価」なのです。

 当然,そこには「評価」=「良さの発見」ができる学習活動がなければなりません。
 
 資料を読み取ったり,比較して違いを見出したり,関連性を考えたり・・・・

 そして,それをノートに書いたり,発表したりすることで,教師が「評価」できる対象になるのです。

 たとえば社会科の地理的分野ですと,目標に次のようなものがあります。

>地域調査など具体的な活動を通して地理的事象に対する関心を高め,様々な資料を適切に選択,活用して地理的事象を多面的・多角的に考察し,公正に判断するとともに適切に表現する能力や態度を育てる。

 「地域調査」は現地を歩く=フィールドワークを行うことが基本なのですが,物理的に不可能な場合も想定されます。その場合は,2500分の1程度の縮尺の地図で示された地域の特色を,インターネットの地図をもとに読み取っていくという作業が考えられます。

 JR山手線の大塚駅周辺の地域調査の例を紹介しましょう。

 この地域には,コンビニの数がとても多いという特色があります。

 それはなぜでしょうか。

 大塚駅は窪地のように低くなった場所にあり,道路が放射状に伸びています。

 オフィスがたくさんあります。

 豊島区は,単身世帯の割合が23区でも最も多い地域です。

 外国人の居住者も多いです。

 23区のなかでは,駅前でも商業地の地価が低いのです。

 ファミリーマートの数が目立ちますが,本社がすぐ近く(池袋)にあります。

 JRの駅で,大塚駅と同じように窪地のような場所にあって,道路が放射状に伸びている駅を探してみましょう。

 渋谷駅がそれに該当します。

 渋谷駅の周辺にも,コンビニがたくさんあることがわかります。
 
 ただ,渋谷駅と大塚駅の違いは,渋谷駅のすぐ近くにはコンビニがほとんどないことが特徴です。

 地価が高いことも影響しているのでしょうか。ある程度の距離が離れると,多くのコンビニが見られます。

 分布に関してだけでも,多くのことを発見するチャンスがあります。
 
 区の人口とコンビニの数を比べると,ある程度の相関関係が見いだせますが,

 近似線からはみ出した区が見つかります。

 それが,昼間人口が多い区であることを発見できると,

 実はコンビニ数というは,昼間人口と非常に高い相関関係があることに気付きます。

 ということは,だれが,いつ,どんなものを買うのか,という予想を立てることも可能になるのです。

 その予想が正しいかどうかは,コンビニ店での聞き取り調査で確認できます。

 ・・・・・・

 こんな「学習活動」の中で,

 関心を高めることができたか,

 資料を活用して様々な角度から考えることができたか,

 自分の予想を適切に表現することができたか,

 などを「評価」してあげるわけです。

 いわゆる絶対評価は,このような「学習活動」があってこそ可能になるわけで,

 ただ教師の説明を子どもが聞いてノートに書いているような授業では「評価」は不可能です。

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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
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  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
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