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学校の評価・評定について無知な人間の言葉に注意!

 先日,ある雑誌を読んでいたら,現在,学校で行われている評価に関する批判が寄せられていたが,よく読んでみると,評価に関する基本的な知識すらもっていないことがわかった。

 それをそのまま載せてしまうという雑誌も雑誌だが,その著者は,非常勤講師であった。

 各学校で盲点になっているのは,非常勤講師がつけている評価・評定である。

 各学校には,評価基準に関する資料が用意されているはずだが,非常勤講師にまでこれが徹底されていないおそれがある。

 評価・評定に課題があれば,これは校長の責任問題になるだろう。

 さて,教育ブログの記事に,学校の評価に関してほとんど無知に近い人間が書いているものがある。

 これを真面目に読む人はいないと思われるが,一応,それが「妄言」であることを根拠付きで示しておく。

 まず,「絶対評価」というのは,俗称であることを認識しておいていただきたい。

 正しくは,「目標に準拠した評価」という。

 だから,評価のための規準は,各学校の教師が勝手に定めるものではない。

 「目標に準拠した評価」の「目標」とは,学習指導要領に示された目標のことである。

 少し長く表現すると,

 「学習指導要領に示す目標に照らしてその実現状況を評価する」のが「絶対評価」である。

 学習指導要領には,目標だけでなく,内容も示されている。

 目標に準拠した評価は,これらの内容をどの程度,習得したり,活用する力がついたかを

 観点別にみてつけていくわけである。

 社会科であれば,「社会的事象への関心・意欲・態度」,「社会的な思考・判断・表現」,

「資料活用の技能」,「社会的事象についての知識・理解」の4観点について評価する。

 「社会的事象への関心・意欲・態度」では,たとえば近世の日本の学習であれば,

 幕府の藩による支配の確立がどのようになされたかを意欲的に追究して,

 近世の特色としてとらえようとしていたかどうかを判断する。課題の追究段階や,

 特色に関する記述の実態から,その学習状況が「十分満足」なのか,「おおむね満足」なのか,

 「努力を要する」段階なのか,といった判断をするのである。順番に,A,B,Cで記録される。

 学校によって,学習活動自体には違いがあるから,具体的な評価の基準は異なるため,

 それを説明するための資料が用意されている。

 こういう評価は,相対評価からいわゆる「絶対評価」に変わる以前も,

 指導要録につけていたはずである。

 ただ指導要録は,担任をもたないと作成する機会がない。

 そういう人間が妄言を書いているのだと想像できる。


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コメント

とても「わかりやすい」中傷コメントが入りました。

SC-03E をお使いなんですね。

おっしゃるとおり,私の心は傷だらけですよ。

教育現場の現状を見て,何も感じられない人はいないでしょうね。

暑さのせいでしょうか。

記事の内容のレベルがどんどん下がってきているブログが気になります。

あせって夕方にコメントを入れてしまうというミスも。

だれがコメントしているか,ばれてしまいます!

この記事へのコメントは終了しました。

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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より