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なぜ部活動の指導を外部の方に任せられないのか

 ある高校の運動部が外部指導員を導入したところ,結局はわずかな期間で問題が噴出し,取りやめになった,ということがあった。

 外部指導員としては,チームを強くするために精一杯のことをしたのだが,
 
 それが学校のチームである以上,すべてが自分の思い通りにいくとは限らない,

 ということが理解できていなかったようである。

 吹奏楽部のような部活なら,学校にこもってひたすら練習してうまくするという方法がとれるが,

 運動部となるとそうはいかない。(もちろん,コンサートにどんどん連れ出す,という学校はあるかもしれない)

 (できれば強豪チームとの)練習試合をバンバン組んで,経験を積むことで上達する面が多い。

 しかし,移動には時間もお金もかかる。

 公立中学校の部活動なのに,年間にして塾の何倍もの費用が必要となるところもある。

 だからお金が出せない家庭の子どもは部活動に入ることすらできない。

 経済的にゆとりがない場合,学校選択が自由にできる地域では,

 お金がかからない中学校を選んで進学することになる。

 冒頭の件で解任された外部指導員は,遠くの学校(自分の知り合いがいる)との練習試合を数多く組んでいた。

 保護者としては,朝が早い,一日の練習時間が長い,夜が遅い,電車賃がやたらとかかる,

 などを不満として(実は選手も不満だった),学校に訴えてきた。

 「部活動の指導を外部に委託する」

 という政策の実現には,様々な「壁」を取り払う必要がある。

 政策の実行にどのくらいの費用がかかるか,試算してみてほしい。

 教員の副業をこの部活動指導については認めることにして,

 そこで人件費を払って済ますなら,外部の何分の1かでできるだろうが・・・。

 とはいえ,莫大な費用である。

 「やっとけ」だけで実質的な指導しない例もあるから,この政策は実現できないだろう。

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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
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    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
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  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
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