私が受けていたのは「授業」とは呼べないものだった
あるICT機器とアプリを活用して学習した中学生が,授業後に記した感想の一例である。
この生徒は,いったいどのような授業を受けてきたのだろう。
なぜ,それまで受けてきた授業が授業とは呼べないものだと感じたのだろうか。
それは,自分の頭で考えていなかったから,というのが理由らしい。
ICT機器とアプリを活用することで,
自分の頭で考えて表現できた,と実感させることはそう難しくない。
ただ,本当に「表現できた」ことが,「頭で考えた結果」なのだろうか。
はっきりしていることは,それまでの授業の質の低さである。
生徒を受け身の態勢にしておいた方が,教師の側には都合がよい面もある。
いちいち自分の独自の意見を発言されて,本筋とは異なる方向ばかりに振り回されると
最適な学習のペースを維持することが難しくなる。
教師には,一応のゴールがあり,できるだけ多くの生徒をそこに導いてあげる必要がある。
ある生徒がちょっとしたことに引っかかって,そこを解決してあげるのにつきっきりになってしまっては,
他の生徒は置いてきぼりになる。
しかし,50分の授業の中には,そういう時間が10分でも15分でもあれば,
一部の子どもたちは突如として主体的な態度で授業に臨んでくるかもしれない。
50分すべてでICTに頼るような授業は,これも授業ではなくなってしまう。
生徒が家でやればよいわけだから。
タイトルで生徒が使った「授業」については,少し他の言葉で補ってあげる必要もあろう。
もちろん,教師たちにとっては,この言葉を何となく脳裏に起きながら,
生徒が「よい授業」と呼んでくれる実践を積み重ねていくことが大事である。
指導力のある教師によるICT機器抜きの授業と,同じ内容の学習で,指導力に課題がある教師による
ICT機器を活用した授業を比較する機会は設けられないだろうか。
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