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私は「~しているつもりはない」と断ることで,免責になると思ったら大間違い

 コミュニケーション能力がない人間というのは,

 自分が言った言葉で,相手がどういう受け止め方をするかには興味がない。

 「バカにしているつもりはない」言葉でも,相手が「バカにされた」気になれば,アウトである。

 それを「バカにされた気になった相手が悪い」とキレる人間が,

 荒れた学校の中学生には多かった。

 いじめも同じである。

 私は,相手をバカにするつもりであだ名をつけたのではない。

 親しみを込めたあだ名だった。それでみんなと仲良くなれたはずだ・・・。

 そういう「考え」をするのは自由なのだが,

 相手が「ひどいあだ名をつけられた」と思ったら,それでアウトである。

 謝ってすむ問題でもなくなってくる。

 それを謝らないどころか,

 「こっちにそのつもりがなかったんだから,私は悪くない」

 などとキレ始める中学生は,どう諭してあげたらよいのだろうか。

 たとえ話をするのが簡単である。

 私があなたをこれから~と呼ぶことにする。

 それは,あなたへの愛着のしるしである。

 それでいいか。

 いや,そんな呼ばれ方は嫌だ。

 私は愛着を感じて呼んでいるんだから,君にどうこう言われる筋合いはない。

 ・・・・・・こういうやりとりで「理解不能」なら,致命的である。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より